雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

映画が産声をあげるところ

f:id:hgkmsn:20190122203145j:plain
f:id:hgkmsn:20190123091921j:plain
2019/1/22@早稲田大隈講堂



映画が産声を上げるところ。そんな場所があるとすれば、たとえば昨日の大隈講堂の上映会もそのひとつなのかもしれない。

以下、備忘のために。

1本目は『ふたたま』:

冒頭こそ逃してしまったけれど、ぼくには安部公房の短編と思えるようなイメージをめざして、悪戦苦闘する映像は悪くない。ポロリと落ちてくるタピオカ玉に近所のタピオカ茶屋にたむろする女子高生たちの姿を思い出し、あのニラ光線には、ぼく自身の亡き母が、当時流行りのミキサーで作ってくれたニラジュースを一気にのんで吐き出したときの気分が、ふと蘇る。アパートの扉、カーテン、窓、そんな仕切りの幕が、「皆殺しの天使」的なバウンダリーのようでありながら、もっと、ふわふわした実態としてゆらめいている。

2本目の『もぐら』:

なんといっても「せんべいおにぎり」につきる。ともかく映画的なのは、夜のイメージの拙いなかにもハットさせるような美しさ。そして車。そもそもルミュエールのはじめより移動するマシンとしての機関車、自動車、自転車、そして飛行機、船などは、すべて映画的であって、それを大画面に映すだけでスペクタクルなのだけれど、この「もぐら」の使われたバンの乗り降りのかない、「せんべいおにぎり」が立ち入ってくるとき、すなわち運動イメージのなかに時間イメージが闖入してくるとき、たとえそこに兄と妹という関係が読み取れなくても(これは上映後のトークで知ることになる)、たしかに運動するイメージのなかに、妙な異物が入ってくることのゾクゾク感を味わうことができた。それにしても、湖ではない湖を、音だけ先行させて、視線の先にちらつかせ、それからちりありとユラユラとネオンのゆらめく水面をはさんで、背中からパンと開いて見せた工場と川と橋と空と兄妹のショットは拍手もの。

3本目は「湛えて」:

個人的なことだけど、大学のとき、一年下の明るい男が海で溺死した。明るくてきれいな彼女がいたのだけど、その時いこう、少しづつ取り戻したその笑顔が大人になっていたのを覚えている。高校の時も、同じ部の友人が交通事故で死んだ。すぐに死んだのではなくて、入院して、そろそろ帰ってくるよなとみんながおもっているある日の朝、とつぜんの訃報が届いたのだ。なんでも輸血の問題だったらしい。そいつとは、同じ女の子をめぐっての、片思いのライバルだったのだけど、ふしぎなことに彼が逝ってしまってから、ほんのつかのまだけど、付き合うことになる。そんなことを思い出したのは、たぶん「湛えて」の映像を見たからだ。じつは見た直後、なんだかモヤモヤしていたのだが、上映後のトークで、実はこの作品が溺死した恋人の話だということを聞いて、ぼく自身の思い出たちと見た映像がふっとリンクすることになったわけだ。もちろんだからといって、もっと映画的な解説が必要だった批判するつもりはない。批判どころか、むしろよけいな台詞や説明がなかったからこそ、あの映像の数々はぼくの記憶に淵に沈んでいたイメージを浮き上がらせる何か攪拌器のようのものとして作用したのだと思う。それはちょうど、うまく書けているのに何らかの事情で断片化した散文や韻文、つまり詩的な想像力のはたらきの痕跡であるなら、それらはいつだってぼくらを触発してくれるようなものなのかもしれない。

4本目が『めぐみ』:

この映画だけは、最後のトークの言葉を必要とせず、映像に縁取られた物語を追うことができた。それにしても、それが上映10分前にレンダリングを終えたばかりだと聞いたときは少々驚いた。生まれてきた赤子が、赤子ではなくて、すでに成人だったような、そんな驚きだ。もちろん、ぼくらは赤子の姿や、夜泣きや明け方の授乳にヘトヘトになった親たちのボロボロの姿を見てはいない。親たちが、そしてコミュニティの人々が、大切に育て上げた子どもが、世の中に一歩踏み出すところに立ち会っただけなのだ。けれどもそれは、映画が生まれる瞬間であり、その瞬間だけに味わえる喜びにほかならない。生まれ前に生まれる幸福を味わうことができないように、生まれる前の映画もまた上映される映画が劇場という暗闇のなか、スクリーンとそれを見つめる眼差しの間に、すっくと立ち上がる喜びを知らない。すでにめぐまれているのにめぐまれていることを感じられないのが、おそらくは、ぼくたちすべてについてまわる運命なのだ。だから、誕生はつねに遅れてやってくる。そして遅れてやってくる誕生こそが時間をひらく。「めぐみ」のめぐみによる、キャンパスに向かうその眼差しのなかに、あの時間イメージがひらかれたのだ。

www.waseda.jp