読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

「共和制 Republic 」と「低脳 Moron」 をめぐって

もろもろ

f:id:hgkmsn:20160925160018j:plain

 

Facebook に投稿されていた記事だけど、ちょっと気になったので、それについて書いてみる。

 

ultimateclassicrock.com

 

上の記事は「ブルース・スプリングスティーンドナルド・トランプを低脳だと思っている」というタイトル。 ちらっと読んで気になったのは次の箇所だ。

The republic is under siege by a moron.

へえっと思ったのは2点。

ひとつは(the republic)。

ふたつめは「低脳 moron 」という表現。

 

1)【the republic】 について

 「the republic」は一瞬「共和党」かと思ったんだけど、それだと「 the republican [party] 」だし、そもそもスプリングスティーンは熱烈な民主党支持だから、文脈が通らない。ここは「共和制」でよいのだろう。言いたいことはきっとこうなのだ。

共和制は低脳のせいで苦しい状態にある。

このとき「共和制」というのは、もちろん「合衆国」の政治制度のこと。アメリカの人はたぶん自国のことを指すとき「 the United States 」と言うのだろう。スプリングスティーンと言えば「Born in the USA」というフレーズが頭に浮かぶものだから、わざわざ「the republic 」というのにちょっと意外な感じがしたのだ。

ボーン・イン・ザ・U.S.A(REMASTER)
 

 アメリカはたしかに「State 州 / 国」の統合した「合衆国 the Unitede States 」だ。けれど国民の代表として選挙で大統領を選ぶ。その意味ではたしかに「共和制 republic 」というシステムを採用している。しかも、実際にこのシステムを採用した国としては、ヨーロッパで最初だったはずだ。

そもそも「共和制(republic)」は、「君主制 monarchy」の反対概念。「君主制」が政治システムのトップに、王や女王のような「ひとり mono 」を想定しているのに対して、「共和制 re-public 」は単一者がトップに立つようなシステムを否定して、「国 res 」は「みんなもの public 」だと主張する。

だからどれほど民主的であろうと、きちんとした憲法を制定していようと、トップに王のような「唯一者」を措定する「monarchy 」という政治制度は、どうしてもその「唯一者」の血や家系によって保障される権威を前提にせざるをえない。血や家系が権威を持つのは、それがいかに古いかというのがポイントになるわけだけど、そういう政治的権威のあり方を、M.ウェバーはたしか「伝統支配」と呼んでいた。*1 

一方の「共和制 republic 」は、君主制があたりまえだったヨーロッパ17世紀には危険思想だった。それは、フランス革命以降にはヨーロッパ中に拡散、各地で「王の首」をねらうテロリスト集団を形成することになる。それまでの支配階級にとって、フランス革命というのは恐ろしいテロリスト集団の勝利だった。「共和制」の国なんていうのは、一握りのテロリストたちが、もう王様はいませんぜ、この国はもうおれたちのものだと、民衆を扇動している騒乱だったのだ。

実際、王の首をはね、その側近を次々と投獄しても混乱は収まらない。国が治らないから、誰かが前に出てきて、じゃ俺に任せろという。よし任せたぞといって、うまく治ればよし、さもなければともかく責任者を誰か探し出して(文字どおり)首にしてしまったわけ。「ギロチンの嘔吐」と言われる状態だ。

こうしてフランスの共和制は、最初は恐怖の支配にさらされることになる。それまでの支配者、あるいは主権を体現していた王の首をはねちまったわけだから、早急に何かべつの主権(sovereignty )が必要になったわけ。日本語で主権というと分かりにくいけど、この sovereignty という言葉は「上から(sovra)」+「支配する(regnare)」ということ。

今までは、血や家系によって上に立っていた。次に、恐怖によって上に立つものが現れた。それじゃ次はどうするってことになるわけだ。フランスと、ヨーロッパが、この主権をめぐる問題で右往左往している19世紀に、平然と共和制をシステムとして確立させていた国がある。それがアメリカ。

アメリカで最初の大統領ワシントンは、1788年12月15日から1789年1月10日の、ほぼ1ヶ月にわたる選挙によって選出された。同年の7月14日に、フランスではバスチーユ牢獄が襲撃されたわけだから、フランス革命が起こるまえに、アメリカの元首たる大統領は選挙によって選ばれていたことになる。

それにしても、選挙 *2 によって中央政府の代表、あるいは独立国の元首が選ばれるというのは画期的だ。

そもそも選挙で選ばれる「大統領」は「王」とは違う。それは言葉を見てもわかる。

イタリア語で考えると「王(Re)」は「君臨する regnare 」する者のこと。英語の「王(King)」はどうやら「一族(kin)」にさかのぼるようだ。

しかし「大統領(presidente)」は、「君臨する」のではなく、「前に pre - 座る人 sidente 。しかも、どこかの「一族」に属している必要はない。つまり、そのときの民によって選び出されたことが重要なのだ。なぜ、それが重要なのか。なぜなら、大統領を選んだのが民であるということは、民が「主権」を持つということを意味しているはずだ。つまり、大統領よりも上位に民が君臨している。まさに「主権=上に立つこと sovereignty  」は民にある。

だから大統領というのは、いつまでも前に座っていらない。任期がある。任期より前におバカなことをすれば、すぐに引っ込めさせられる。弾劾される。もちろん、おバカなことをやらかした人間はそれを隠そうとするから、ちゃんと監視しないとダメ。そこにジャーナリズムの役割がある。ジャーナリズムが監視できなければ「大統領のお仲間たち all the president's men 」はおバカのやり放題になってしまう。だから『大統領の陰謀 All the president's men 』(アラン・J・パクラ、1976)という映画を見ればわかるように*3、アメリカではウォターゲート事件を告発したジャーナリズムを称揚するわけだ。

大統領の陰謀 [Blu-ray]

大統領の陰謀 [Blu-ray]

 

 ブルース・スプリングスティーンがどこまで考えているのかはわからない。けれども、熱烈な民主党支持者として知られる彼が、まさに大統領選のさなかに「the republic」が困難な状態にあるというのだ。その「the republic 」とは、アメリカ合衆国の「人民の人民による人民のための」という建国の理念を体現する大統領制のことなのだろう。

 

2)【a moron】について

 そんな大切なアメリカ大統領だから時間をかけて選ばれる。やたら時間がかかるように見えるけど、時間をかければ自然とおバカが見えてくる。ダメなやつは馬脚をあらわす。時間をかければ、きっちりと大統領を選ぶことができる。それがアメリカ建国の理念にかなうというわけなのだ。

ところが今やトランプのような候補が大統領選でいいところまで来てしまった。共和党の最終候補になっただけではない。下手をすれば大統領に選ばれかねない勢いではないか。アメリカの理念を体現すべき大統領に、こんなやばいヤツがなってしまっては大変だ。だからスプリングスティーンは言ったのだ。「共和制は低脳のせいで苦しい状態にある」と言ったわけだ。

しかし、じつのところスプリングスティーンの言葉で一番気になったのは、この「低脳のせいで(by a moron)」というくだり。そもそもこの「moron」という表現は、20世紀の初頭、優生学の影響下にあった精神医学の用語。医学用語らしくギリシャ語の「 moron (愚か者)」にひっぱってきて、知能レベルが8歳から12歳ていどの成人、つまり軽度の精神遅滞者のことを指すために使われた表現。おそらく今では、優生学起源であることは忘れられたまま、語感のよい新語として米国やカナダでひろがって、日常的に使われるようになったようだ。*4

この種の言葉ではめずらしいことではない。誰かが気がついて指摘すれば、それまで平気で使っていた者も赤面してパタッと使わなくなる。もし誰も指摘しなければ、いつまでも使われ続けることになる。例えば日本語でインスタントカメラを意味する「バカチョンカメラ」など、一時期は大きく広がったものの今ではもう言わなくなった(はずなのだが、万一使っている人がいたらそっと意味を教えてあげてね)。イタリア語には「cretino(愚か者)」という表現があるけれど、これはたぶん今だに使われている。ほんとうは「甲状腺機能低下症(クレチン病)」に罹患した人を指して「かわいそうな人 povero cristiano 」と呼んでいたところに由来する表現だから、甲状腺の機能不全で知能低下を患う人への差別用語だ。

まあ今では、インスタントカメラなんて誰も使わなくなり、甲状腺障害も治療できるようになった。もちろん、ナチスドイツが推し進めた優生学なんてタブーになっているのだけど、そこで使われた言葉は、含意を替えながら生き残っていたりするというわけだけれど、できるかぎりでその系譜を指摘し、できれば博物館に送りにしておきたいもの。ところが「moron」はまだ博物館おくりにはなっていない。日常語として使われているのだ。

それをスプリングスティーンドナルド・トランプに対して使った。インパクトがあったのだろう。記事になったのだから。しかしである。彼のことを「moron」という言葉で呼ぶことに意味があるのだろうか。それが優生学的系譜をもつ言葉だからではない。トランプを「低脳」呼ばわりすることに意味はあるのだろうか。

おそらく、これまでの大統領選挙だったら意味があったのだ。選挙戦の途中で「おバカ」であることを知られてしまったら、それで終わっていたのではないだろうか。ところがトランプ候補の場合はそうではない。その「おバカな」な言動の数々にもかからわず、ここまで来てしまった。すでに候補から外れていてもおかしくないのに、平然と選挙戦を続けているばかりか、いまやクリントンに肉薄する勢いではないか。

スプリングスティーンの気持ちはわかる。「なんで、こんな低脳野郎にかき回されなければならないんだ」。そしてそれは、アメリカの民主党支持者や良識派の多くが思っていることにほかならない。ふつうは大統領候補に「低脳野郎 moron」なんて言葉を使うはずがない。ところが、そんな言葉がポロリと出てきてしまったというわけだ。

ポイントはまさにそこにある。そもそもトランプが「低脳野郎 moron」だとすれば、アメリカの大統領選挙というのは、そんなやつでも勝ちあがれる程度のものなのか。

そもそもトランプを「moron 」呼ばわりすることに意味はない。あるいはそれを証明しようとしてみても、ほとんど効力を持たない。このあたりは、なんだか日本の状況とも重なる気がする。

まるで息をするように嘘をつける人間を前にして、その嘘を嘘だということには意味がなくなってゆく。こういう人たちの言葉は、嘘とか真実では発せられているのではない。目の前の人間がいかに熱狂するかを狙い澄まして発せられているからだ。辻褄があわなくなれば、しずかに訂正すればよい。その間にまた新しい言葉で人々を熱狂させればよい。その言葉が本当か嘘か証明される時間のあいだ、できるだけの支持を取り付ければよいのだ。

じっさいトランプ候補の支持者は膨れ上がった。問われるべきは彼が「moron」かどうかではない。そんなことはきっとスプリングスティーンもわかっているはずだ。どうして「moron」に支持が集まるかということ。トランプはいったい、誰の「前に立つ pre-sidente」ことをめざしているのか。いったい、だれを代表しているのか。

どうにもよくわからない。アメリカには行ったことがないし、とくに研究しているわけでもない。だから想像するしかない。貧困もあるのだろう。国際的な地位の低下とかもあるのかもしれない。そのあたりは、ぜひ専門家に教えてもらいたい。

ただ、個人的に気になるのは、アメリカに綿々と続くプロテスタティズムの(それも福音派)の特殊性とその歴史。ある種の宗教的な熱狂、ある種の保守性、それがダイレクトにセカイと連動している感覚。アメリカ映画を見ていると、しばしばそういうものに出会う。例えば、最近見たテレビシリーズの『プリーチャー』なんてまさにそれ。あのおどろおどろしい世界のことを、ぼくらはどうやらまだ知らないのだと思う。

 そのなにものかが、もしかするとスプリングスティーンを苛立たせているのではないか。それが、あのトランプの明白な「愚かしさ」に喝采を送っているのではないだろうか。ともかくもそのなにものかをきちんと系譜学的に言えなければ、そいつらは好き放題をやらかし続けるに決まっているわけで、だからどうしても気になってしまうのだ。

なによりも、スプリングスティーンの苛立ちが、あの「moron 」という表現に憑依されたことが気がかりだ。もちろんそれはトランプに向けられた言葉だが、それはおそらく彼には効力がない。この種のカードは、それを使うものに影響を与えてしまうものではないかと心配なのだ。

きっと、スプリングスティーンの「moron」という言葉は、おそらく何かが終わり、何かが始まろうとしている地点をマークしているのだろう。

そしてこのロックスターとともにアメリカの大統領選挙の成り行きを見守っているぼくたちもまた、終わりと始まりの間に固まって、「 moron 」という言葉に呪われてしまってはいないだろうか。

だとすれば、求めるべきはその呪いを解く「呪言(ことほぎ)」のはず。

ぼくらはそれを見逃しているだけなのか。

それともまだ到来してはいないのか。 

*1:当然ながら、日本の天皇制もこの「伝統支配」にほかならない。いかに民主主義の国で法治国家だといっても、それはいわゆる「立憲君主制 (constitutional monarchy) 」なのだ

*2:ところで、いつの間に「選挙」なるものが当たり前になったのか?すくなくとも制度としての選挙は、どうやらフランス革命の前後に考え出されたようだけど(ボルダ方式)、そのあたりはまたいずれ調べることにしよう。

*3:この All the president's men というのは、おそらく1949年の『 All the king's men』のもじり。All the king's men という表現は Humpty Dumpty から来たものだけれど、1930年代に活躍したポピュリスト政治家ヒューイ・ロングのスローガン「誰もが王様(Every Man a King)」も関係がありそうだ

*4:http://www.eigowithluke.com/2011/03/moron/