雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

英国のEU離脱をめぐる R. Saviano の記事を訳してみた

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英国のEU離脱をめぐって、いろいろな人がいろいろなことを言っている。ぼくの周りでも、、悲しんだり怒ったりする人がいるし、なんとか結果を受け止めようと考えている人もいる。かとおもえば、中東の事情を考えれば、国境線が変わるなんてあたりまえで、そんなのは特殊ヨーロッパ的事情にすぎないじゃないか、なんて他人事を装う人もいるみたいだ。

ぼくは正直驚いたし動揺もしている。考えざるえないし考える手がかりを探して、つい、キョロキョロとしていたところに、ロベルト・サヴィアーノの投稿が飛び込んできた。一読して、とても勉強になったし、手がかりもいくつかみつかった。

なにしろこういうご時世だ。ともかく多くの人に参考にしていただきたいので、勝手ながら以下に訳出させていただいた。

では、どぞ!

 

www.robertosaviano.com

 

 

 

自由で統一されたヨーロッパをめざして

政治宣言の草案

 

ロベルト・サヴィアーノ

 

ブリクジット:人民が勝利した

 

わたしが思い出す人民は、1938年、ヴェネツィア広場にそろって顔をだしたヒトラームッソリーニを賞賛していたあの人民だ。陶酔と興奮のうちに宣戦布告を求めた人民。ヨーロッパを破滅の淵に追い込むことになる悪人を前にして、ほとんどヒステリックなまで従順にしていた人民だ。 

 

わたしが思い出す人民は、1941年にアルティエーロ・スピネッリが反ファシストとして流刑されるとき拍手していた人民だ。スピネッリは、流刑地であるヴェントテーネ島で、監禁されていたエルネスト・ロッシとエウジェニオ・コロルニらとともに、『自由で統一されたヨーロッパをめざして。政治宣言の草案』(ヴェントテーネ宣言)を書いた。その草案をよく見てみるとき、わたしたちは今日、ほんとうに人民が勝利したと言えるのだろうか?

 

わたしはヨーロッパ主義者、ほんもののヨーロッパ主義者だ。

 

ヨーロッパ共同体はまず第一に、新たな政治的な構想として、紛争を回避するために生まれたものであり、次に文化的な構想である。それからさらに、由々しき問題に関する法律を共有し、組織犯罪、移民、安全保障などに対処するに欠かせない構想である。経済的統合は、最後に来る。

 

EU懐疑派の批判は、ヨーロッパがただの経済的統合であり、恵まれた階級と裕福な国の特権を守るばかりであることに向けられている。これは部分的には単純化された議論なのだが、一方で、ヨーロッパ共同体当局は明らかに、EU懐疑主義のもっとも強力でポピュリスト的な主張が根拠を失うような措置をほとんど打ち出せていない。

 

ブリクジットに関する投票の結果には、ヨーロッパが移民流入の対処に失敗したことが大きな影響を与えた。失敗したのは国境が「ザル状態」であったからでもなければ、移民が「生きる場所を選択できる解放奴隷」であったからでもない。ヨーロッパの理念そのものが基礎を置く基軸原理、すなわち文化的統合と歓待の精神を裏切ったことが失敗だったのだ。

 

ヨーロッパは失敗し、英国は感情と毒を含んだ心に屈し、現実的な利害を考慮できなかった。ヨーロッパ当局には矜持をもった対応が望まれるのだが、そのヨーロッパを成り立たせているのもまた同じ人間、それも、それぞれの苦しみと、ごくごく私的な関心を抱えている人間なのだ。したがって、ヨーロッパの価値を高める矜持などはない。たとえそれが、ただひとつの平和の保証であってもだ。あるのは恐れ。英国のように、ほかの国もまた船を投げ出してしまうかもしれないという恐れなのだ。たしかにそれは不完全な船だが、いままで守ってもらった船だ。改善すべきところはあるが、この船のおかげで、わたしたちは今までよりも意識の高い市民となれたのだ。

 

わたしは1941年のヴェントテーネ宣言を信じ続ける。良き意思がありさえすれば、なおも実現できるはずのヨーロッパの理念を信じ続けるつもりである。

 

2016年6月24日