雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ロベルト・サヴィアーノ、『白夜』について語る

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ロベルト・サヴィアーノのことを知ったのは、M.ガッローネの『ゴモラ』(2008)だった。サヴィアーノはこの強烈な作品の原作となった『死都ゴモラ』の著者であり、最近では『コカイン・ゼロ ゼロ ゼロ : 世界を支配する凶悪な欲望』が邦訳さればばかり。饒舌だが筋金入りの社会派の作家だ。

ぼくは、そんなサヴィアーノが Facebook で興味深いコメントを発しているのを知り、以来ずっとフォローしているのだけれど、その彼が「Amici(友だち)」というテレビ番組でドストエフスキーの短編『白夜』の紹介をするという。

え?『白夜』だって?

ぼくなんかはすかさずヴィスコンティを思い出すけど、それにしてもサヴィアーノが、どうしてもまたドストエフスキーの『白夜』なのか。

番組は5月9日に放送された。司会のマリア・デ・フィリッパから客席の若者たちに封筒が配られる。これからフラッシュ・モブをやろうというのだ。しかしそれは、ぼくたちが考えているようなものではない。一瞬にして(フラッシュ)、群衆(モブ)が踊りだすのではなく、封筒を開けようというのだ。「ウノ、ドゥエ、エ・トレ」の掛け声とともに会場の若者たちが一斉に封筒が開けば、中には一冊の本。ドストエフスキーの『白夜』だ。当惑する若者たち。そこで司会者は、ゲストのサヴィアーノを舞台に招き入れる。彼が話始めると、若者たちは次第にその言葉に引き込まれてゆく…。

以下に訳出するのは、この時サヴィアーノが話した言葉である。引用は彼のホームページから。番組でのトークの様子のビデオも見ることができるので、興味のある方はのぞいてみてほしい。

 

みなさんは、この本を手にして、「何の関係があるんだ?今まさにこの瞬間に、本だって?」と思っていることでしょう。けれどもわたしは、大いに関係があると思っています。みなさんはだいたい二十歳ぐらいだと思いますが、他でもないそんな年齢の若者にこそ、一冊の本を手にしてみるという素晴らしい権利を行使してもらいたいのです。

 

現実には本はひとりで選ぶものです。ですから、本を勧めて、「読みなさい」なんて指示を出したりすると、少々おせっかいに響きます。「ちゃんと愛しなさい」とか「よい音楽を聞きなさい」と言われるのと同じですね。ものを勧められたら、ちょっと余計な世話だと感じるのがふつうです。

 

けれどもわたしは、この機会を利用させていただいて、みなさんにこんなふうに考えてもらいたいのです。しばしばこう考えたりはしないでしょうか。書物というのは、まるで登頂不可能な山のようだと。そんなふうに考えるのをやめていただきたいのです。詩集とか、小説とか、評論なんていうのは複雑すぎてとても太刀打ちできないと思われてしまいがちです。けれどもわたしは、みなさんに思い切って書店に飛び込んでいただきたいのです。そして、書物を「漁って」いただきたい。恐ることなく、ページのあいだに鼻を突っ込んでいただきたい。複雑性というのは、書物において立ち向かうべきもっともすばらしいもののひとつです。本には、悲惨極まりないものや、身の毛のよだつものもあれば、すばらしいものもあるのですが、それを選ぶのはあなた方です。そして、読んでみて初めて違いが理解できるようになるのです。

 

わたしはよく、本を手にしてこんなことを考えます。ここにはただ言葉があるだけじゃない。本のなかにあるのは時間なのだと。本を書くための時間、そして本を味わうための時間。みなさんが、この瞬間に手にしているのは、なにか貴重なものなのです。それは、ただのタイトルではなく、予告編でもなく、ニュース速報でもありません。(この本を読むために)みなさんがしばし共にする時間とは、それもまた時間をかけて作られたものなのです。

 

わたしは常々、本を読みながら、時間が増えてゆくように思ってきました。まるで自分の生命だけでは結局十分でないものだから、本を読むことで生命が増えてゆくように感じたのです。でもそれは、自分が人より優れていると感じたり、あるいは人よりも多くを知るようになることではありません。人生のいくつもの道を、他の人よりもたくさん、知覚できるようになるということなのです。

 

ウンベルト・エーコはこんなことを言っています。笑える話でもあるのですが、彼はこう言います。「本を読まない人が70歳で亡くなるなら、その人はただ70年の人生を生きただけということになる。しかし、本を読む人なら5千年の人生を生きることになる。彼は、カインがアベルを殺したときにも立ち会っていたし、ユリウス・カエサルが殺されたときも、テルモピュライの戦いのときも、レオパルディが無限を見つめていたときもそこにいたのだ」。

 

読むということは、ある意味で、不死を転倒したかたちで生きることです。それはあたかも、わたしたちが今ここに至るまでの長い道のりのすべてを眺めることを許してくれるかのようではありませんか。だから、本を読まない人よりも多く生きるのだし、他の人を超える何者かになれるのです。

 

わたしは、ここ数年間すこしばかり複雑な事情に巻き込まれていましたが、そのなかで自分の人生を書物と重ねてきました。つまり、本があるところでは自宅のように感じていたのです。もしかすると、そういうわけで、今日この本を持ってこようと思ったのかもしれません。それが、わたしがまだ若かったころ大好きだったドストエフスキーの『白夜』なのです。主人公は26歳ですが、ドストエフスキーは彼に名前をつけていません。ただ「夢想家」と呼んでいるだけです。彼は少し孤独がちな青年で、それまでの人生を本を読んで過ごし、夢の中で遠くに別の人生があるように感じながら、本のページの中でなんとかそこに近づこうとします。夢のなかでは想像上の恋人のことも考えているのですが、実際には会えないだろうと感じているのです。ところがある晩、何かが起こるのです。それは白夜のことでした。

 

白夜というは、ロシアの北部の夏の初めの夜のことです。そのとき、空が暗くなることはありません。ずっと明るいのです。ドストエフスキーは、まさにこんなふうに始めます。「すばらしい夜であった。それは、愛する読者諸君よ、まさにわれらが青春の日にのみありうるような夜であった。一面に星を散りばめた明るい星空は、それを振り仰ぐと思わず自分の胸にこんな疑問を投げかけずにはいられないほどだった -こんな美しい星の下に、さまざまな怒りっぽい人や、気まぐれな人間が果たして住んでいられるものだろうか?」*1 

 

ドストエフスキーの筆力は感情や感動を物語るところで発揮されます。しかし、ここで思い出しておくべきことがあります。感動、あるいは感情というもが当たり前のものだと考えてはならないということなのです。なぜなら、世界の多くの場所で感動を表現することが許されていないのですから。世界のいくつかの場所では公衆の面前でキスを交わすことは犯罪です。厳しい規則を持つ多くの国では、幸福を表現することが禁止されているのです。

 

ファレル・ウィリアムスの『ハッピー』という曲を覚えてますか?ネット上では幾つものカバーを見ることができますが、それは世界中のいたるところで作れらていますね。カバーはイランでも作られました。6人の若者がテヘランの屋根の上で『ハッピー』のカバーを作ることにしたのです。自分たちの姿を撮影し、ネットにビデオを流して、世界中の人々にイランの若者だって笑いたいし、遊びたいし、踊りたいのだと伝えようとしたのです。ところが警察がこのビデオのことを知ると、彼らを逮捕します。そして禁固6ヶ月と一人につきムチ打ち91回の刑が言い渡されたのです。しかし、この刑には、公共のテレビ放送で謝罪することを条件に執行猶予がつきました。罪状は公共のモラルに背いたというものです。男性が女性とアメリカの音楽に合わせて踊ったというのがモラルに背いたというわけなのです…。

 

 

これが感動を味わうこと、それをシェアすることの具体的な重みなのです。なにも特別な事例ではありません。ほんの少し前、リビアISIS の兵士が楽器や太鼓を押収したことを思い出してください。別の場所ではギターも取り上げられました。わたしはここに、これらの楽器が押収され燃やされてしまった様子を示す写真を持ってきました。どうして燃やされたかといえば、イスラムの狂った解釈によれば、楽器は敵の道具だと考えられたからです。

 

ここでもまた、音楽、愛、感情、そして幸福をシェアすることが、危険なものだと考えられているわけです。なにもイスラム原理主義の問題に限った話ではありません。南アフリカミリアム・マケバ*2 にも同じことが起こりましたし、また、ちがったかたちですが、合衆国のジョン・レノンにも起こったのです。

 

ようするに、信じられないように思えるかもしれませんが、愛や感情は恐れられているのです。なぜなら、少なくとも、そんな感動にとらえられると、しばしのあいだ、ものごとを変えることができると思うからなのです。『ハッピー』のような歌は、社会的な告発ソングではありませんし、リポルタージョでもありませんし、政治的な告発でもありません。そうではなくて、こうした歌はただ、生きることは無駄ではなく、幸福に生きることにはそれだけの価値があると歌っているのです。もしも幸福に生きたいなら、そんな政治体制に苦しむことはなく、ものごとを変えようと思うだろうし、変化させようとする…そういうことなのです。だからこそ、恐れられるわけです。だからこそ、この『白夜』という本のなかに語られるような感情は、なにか革命的な力を持っているのです。なぜなら、そこにある文章はほんとうに日常を変化させることができるのですから。

 

この本の夢想家に、わたしは何度もアフリカ系アメリカ人の作家、ラルフ・エリソン (1914 – 1994) のことを思い浮かべました。彼は「ブルースを定義するとどうなるでしょうか?」と聞かれたとき、こう答えたといいます。「ブルースとは、奴隷たちが自由の代わりに持っていたものだ」。書物というのは、ある意味で、私たちに欠けているものの代わりにあり、私たちがそのなにものかを見つける道を教えてくれているのではないでしょうか。

 

最後に、ギュスターヴ・フロベールがある女性に宛てた書簡にあるフレーズをご紹介しましょう。そこでフロベールは、わたしが今まで出会ったなかで最もすばらしい読書への招待を記しているのです。

 

「楽しみのために読んではなりません。教養のために読んでもいけません。そうではなくて、生きるためのお読みになってください」。

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コカイン ゼロゼロゼロ: 世界を支配する凶悪な欲望

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白夜 (角川文庫)

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Happy (from "Despicable Me 2")

 

Pata Pata

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*1:小沼文彦訳、『白夜』角川文庫

*2: Zenzile Miriam Makeba (1932 – 2008)は、ママ・アフリカとも呼ばれる歌手。「パタパタ」のヒットによりアフリカ音楽を世界的なものとする。アパルトヘイトに反対したことで国外追放。2008年にはイタリアで、ナポリの犯罪組織カモッラに抗議するロベルト・サヴィアーノ支援のコンサートに参加するが、ステージを終えて心臓発作を起こし死去。サヴィアーノたちからは救急車の到着の遅れが指摘されている