雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ドイツ旅客機の墜落事故について

フェリーニの『8 1/2』の続きを書きたいところなのだけれど、どうにもあのドイツ旅客機の墜落事故が気になって仕方がない。じつはフェリーニのこの作品について、ぼくはうつ病と自殺ということを書こうとしていたのだ。そこに飛び込んできたのが、副操縦士うつ病を患い、自殺を考えていたというニュースだった。どうも、この話は避けて通れないなと思っていたところ、ぼくの気持ちをみごとに代弁してくれるような記事に出会ったので、以下に訳出しておくことにする。

フェリーニについては、しばらくお待ちを。

 

記事のオリジナルはこちら。

www.commonware.org

 

では拙訳をどうぞ。

 

操縦室にて

2015年3月30日

フランコビーフォ・ベラルディ

若き操縦士アンドレアス・ルビッツは、うつ病の発作を患っており、勤め先のルフトハンザ社に自分の精神状態を隠していたと言われている。医者からは仕事を離れる期間を持つように勧められていた。これは取り立てて驚くべきことではない。現代のターボ資本主義は、診断書の使用を求める者を忌み嫌うのであり、なによりもうつ病に関わるあらゆるものを嫌悪している。ぼくがうつ病だって?そんなことはまったくない。ぼくは健全そのもの、完璧に仕事をこなせるし、陽気だし、活発だし、気力も充実していて、誰にも負けないよ。毎朝ジョギングをして、いつだって残業する準備ができている。もしかすると、これがローコストの哲学というものではないのだろうか。飛行機が離陸するときや直陸するとき、ファンファーレが鳴り響くのではないのだろうか。もしかするとわたしたちは、自分の精神状態を日常的にテレビのCMに登場する人々の攻撃的なまでの陽気さによって測っているのではないだろうか。病気を理由に欠勤しすぎると解雇のリスクがあるのではないのだろうか。

今、新聞各紙(ここ数年わたしたちを無駄飯食いと呼び、非効率的な人材を選別することを讃えてきた新聞)は、雇用の際に注意を払うように呼びかけている。航空パイロットが精神的に不安定であったり、狂人や鬱病患者や、変質者や鬱陶しく呪わしいメランコリー気質ではないことを特別の注意を払って証明するように求めているのである。まさか?それなら医者はどうなるのか?軍隊の指揮官たちは?バスの運転手は?列車の運転士は?数学の教授は?交通警察の巡査たちは?

うつ病患者をパージしようではないか。パージするべきだ。しかし残念ながらうつ病は現代人の大多数を占めている。はっきり診断されたうつ病患者の話をしているのではない。それだって増加しているのだが、わたしが言うのは、不幸や、悲しみや、絶望に苦しんでいる人々のことだ。あまり話を聞くことがなく、聞くことがあっても注意深い言葉で語られるのだとしても、心理的な病の罹病率はここ10年で顕著な増大を見せており、自殺の割合(世界保健機関のレポートによれば)はここ40年で(なんと!)60%も増えているのだ。

ここ40年?いったいどういうことなのか。ここ40年に、いったいどういうわけで、大勢の人々が死神のもとへに向かったのだろうか。もしかすると、人生を終わらせようとする傾向が信じられないほど増大したことと、ネオリベラリズムの勝利によって雇用が不安定となり誰もが競争に駆り立てられていることとは、なにか関係があるのではないのだろうか。また、もしかすると、モニターを見ながら育った世代が、絶えず心理情報的な刺激に晒され、ますます他人との身体的接触が少なくなるなかで、孤独に陥っていることとは関係がないのだろうか。忘れてはならないのは、世界中の多くの国(イタリアもそうだが)の医者たちが、死者にその意思があったという明白な証拠がなければ、自殺だと判断することに慎重であるよう奨励されているということだ。だとすれば、交通事故のなかで、多かれ少なかれ意識的な自殺の意図があったものが、どれほど隠されているのだろうか。

捜査当局と航空会社が、航空機事故の原因は操縦士の自殺であり、彼はうつ病の発作を患いながらそれを隠していたのだと発表するやいなや、ネットの世界では例の陰謀論者の軍団が行進を始めている。「そんなこと信じられるわけがない」と、陰謀を疑う者たちは言うのだ。背後にCIAがいるにちがいない、もしかするとプーチンかもしれないし、あるいはルフトハンザ社がなにか重大な問題を隠しているのだろう。サルトリと署名し、自分はおおいにユーモアがあると自負する風刺漫画が、新聞を読んでいるひとりの男をこんなふうに描いている。「旅客機墜落:責任はうつ病副操縦士に」という記事に男がつぶやく。「やがてISISだって鬱病患者の集まりだと言いだすのだろうな」。

そうなのだ、おみごと。ポイントはまさにそこにある。現代のテロリズムにはいくつもの政治的原因がありうるが、ただ一つの本当の原因は精神的な苦悩(そして社会的な苦悩でもあるが、このふたつは同じものだ)という伝染病が世界中に蔓延していることにある。もしかすると、そう考えれば、ひとりのシャヒード〔イスラム殉教者〕、あるいはひとりの若者が、政治的、イデオロギー的、宗教的な理由から、何十人もの他の人間を殺すために自爆するような行為を説明できるのだろうか。もちろん可能だ。しかし、それはおしゃべりにすぎない。真実はこうだ。自死する者にとって、生きることは耐え難い重荷であり、死ぬことだけが唯一の救いであり、大量虐殺こそが唯一の復讐であると考えられているのである。

自殺という伝染病がこの地球に降って湧いてきたのは、ここ10年来、巨大な不幸の製造工場が稼働し、そこから誰も逃れられなくなったからなのだ。あらゆるところに何かの陰謀を見るものは、隠された真実のようなものを探すようなことをやめて、今までとは異なる視点から、明白な真実を解釈しなければならない。アンドレアス・ルビッツが、あの呪わしい操縦室に閉じこもったのは、その心のなかの苦しみが耐え難いものとなったからであり、その苦しみの原因となった相手を責めようとしていたからだ。彼が責めようとしていたのは、彼とともに飛んでいた150人の乗客と乗務員であり、その他のすべての人類だ。わたしたち現代人は、ルビッツと同じように、みずからを貪る不幸から逃れることができずにいる。それは、幸せにならなければならないというメッセージを繰り返す広告にさらされるようになった時からであり、デジタル世界の孤独になかでますます多くの刺激を与えられながらも肉体的に孤立するようになった時からであり、そして金融資本主義によって今までの半分の給料のために今までの倍の仕事を余儀なくさせられた時からなのである。