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雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

教育におけるスポーツ、武道、そしてあそび

イタリア語 教育

Facebook の友人の投稿に答えようとしたのだけど、長くなってしまったのでここにアップ。小さな子供のいる母親でもある友人が、朝日新聞のこの学校体操についての記事を引用して、「いったい誰のための教育なのか」と問いかけていたのだ。ぼくは学校体育とか、スポーツや武道などについて思いを巡らせていたのだけど、「子供本位の教育」が必要だという言葉を受けてちょっと考えてみた。

 

記事はこれ。


(耕論)体育で何を鍛えるか 内田良さん、坂上康博さん:朝日新聞デジタル

 

以下、ちょっと考えてみたこと。

 

* * * * *

 

子ども本位の教育というのは、非常に人間的だと思います。なぜなら、人間の文化や社会の根本には、ヒトという種がほかの動物とは異なり、ネオテニーという戦略があると考えられているからです。

 

ネオテニー neoteny とは、ギリシャ語の「若さ」(neos)と「延長する」(teino)とを合わせた造語ですが、これは「幼態でありながら性的に成熟していること」を指しているわけです。幼態のままで成熟することで、ヒトはほかの動物とは異なり、生得的に定められた成熟とは異なる成熟へと開かれたわけですね。その最たるものが言語であり、宗教であり、政治なのでしょう。

 

問題になっている体育やスポーツもまた、このネオテニーというヒトの特質から考えられると思います。おそらくその根元には「あそび」がありますね。動物の場合、たとえば猫などを観察すればわかりますが、子猫同士が戯れているのは将来の狩りのための練習という性格があります。動物における「あそび」は、その種の生得的な目的のために、身体的な機能を十分に発揮するための予備訓練という意味を持っています。

 

しかし、ヒトはちがいます。ヒトが「あそぶ」のもまた、その身体的な機能を発揮するためのものですが、その機能はあらかじめ狩りなどの特定の目的を持つものではありません。むしろ、ヒトの「あそび」は、身体の機能の可能性を開いてゆくものです。おそらく、そのひとつのかたちが舞いなのだと思います。舞い、あるいは舞踏は、あらゆる民族に見られるものです。それがやがて宗教的な意味を持つにしても、起源においては無目的の運動であり、運動のための運動だったのではないでしょうか。つまり、意味を持たない舞いこそが、ネオテニーとしてのヒトのもっとも根源的な舞いなのだと思います。

 

スポーツもまた語源的にはこの「あそび」に通じるものです。英語の sport は disport (娯楽)の短縮形ですが、その由来であるフランス語のdesport もまた同じ意味です。これはさらにラテン語の deportare (de 遠くに + portare 運ぶ)に遡ることができますが、この deportare とは「遠くに赴く」(portarsi lontano )の意であり、おそらくは「都市の壁の外に出て運動する」という意味となのでしょう。このことは、同じラテン語で「娯楽、楽しむ」を意味する divertere (他の場所へ行く、遠ざかる)にも言えることです。ちなみにイタリア語の divertimento 「娯楽」はここから派生したものですね。

 

そんなスポーツが教育に取り込まれてゆくのは、イギリスのヴィクトリア朝時代のパブリック・スクールのことです。産業革命の時代ですから、この当時、新興ブルジョワの子息たちのための公教育が行われていた時代ですが、ここで例えばサッカーやラグビーなどのスポーツが教育のなかに取り入れられてゆきます(有名なラグビー校もまたパブリックスクールですね)。けれども、サッカーやラグビーなどは、スポーツの本来的な意味通り、村の外に出てボール蹴って遊ぶという内容のものだったはずですが、その共同体のなかにある「あそび」が公教育のなかに入ってきたというわけです。

 

ところが、このスポーツが公教育のなかにはいるとき、新しく立ち上がってきた国民国家のために有効なものと考えられるようになります。個人がチームのために身を挺して戦うという姿勢は、なによりも軍隊から重宝がられることになります。実際、パブリックスクールのスポーツはイギリスの指導者階級だけではなく、軍人としての人間形成に欠かせないものと考えられるようになります。そうしたイギリスのスポーツのあり方に感銘をうけたのが、近代オリンピックの創始者であるクーベルタン男爵ですね。

 

スポーツがイギリスにおいて有効な教育手段となっていったとすれば、日本では武道が同じような変遷をたどります。今でも剣道や柔道などは、ダンスとならんで中学の体育の科目として取り上げられていますが、ポイントとなるのは剣道にも柔道にも「道」という考え方があることですね、

 

そもそも剣道は剣術であり、柔道は柔術でした。そこに「道」という考え方が入ってきたのはいつか。教育者であり、同時に柔術を学んでいた嘉納治五郎(1860- 1938)が弘道館を開いて柔道を始めたのは1882年です。1895年に武道の振興、教育、顕彰を目的として大日本武徳会という財団法人が設立され、その請願運動によって1911年中等学校正科の体操の一部として剣道が実地されることになります。ここから剣道という呼称が定着することになります。

 

こうして明治維新によって近代国家となった日本が、国民教育のなかに剣道や柔道を取り入れていった時期は、ちょうどイギリスのパブリック・スクールにおけるスポーツの普及と重なります。イギリスの国民教育がスポーツという「あそび」のなかに教育効果を発見したとすれば、おそらく日本では、「道」という考え方に、同じものを見出したのではないでしょうか。

 

この「道」の理念とはどういうものだったのでしょうか。剣道や柔道が参照するのは、日本に昔から伝わる華道や茶道のような「芸道」にほかなりません。ここで「道」というものが示しているのは「技芸の体系」のことであり、同時に哲学的思想的な深まりの中で人格的な形成を示すものです。そこでは弟子が師について教えを乞うという師弟関係が基本になります。そして、教えは家元制度によって継承されてゆきます。この垂直的で家族的な構造を持つ教育システムを、近代的な学校教育へと再編してゆき、武術の習得を通して国民の身体と精神を鍛錬する新たな教育システムとして立ち上げようとしたのが、嘉納治五郎の柔道であり、大日本武徳会の剣道だったのです。

 

しかし、教育システムとしての「道」の系譜をたどると、それはスポーツと同様に「あそび」にたどり着きます。日本の同時のシステムとしての「道」が形成されたのは、おそらく芸道が完成する室町時代に注目する必要があります。あらたに台頭した武士階級とその統治にはいった庶民のあいだで禅宗が影響を持っていた時代に、足利家の庇護のもとで独自の体系を完成させたのが世阿弥です。その能は観世流として今に伝わるものですが、彼は教養とは無関係の舞台芸能だった猿楽に、知的な広がりと精神的な深みを与えた、芸道としてまとめあげてゆくことになります。こうした芸道として、さらに利休が茶道を、池坊専応が華道を立ち上げてゆくなかで、日本独自の芸道の歴史が生まれてくるわけですね。

 

しかし、この芸道とは、結局のところお茶やお花であり、踊りや歌やものまねであり、まさに日常から離れてゆく娯楽(divertimento)であり、元来は「あそび」だったにちがいありません。

 

おそらく、今、危機の時代にあって、教育に問われていることは本来的な「あそび」に立ち戻り、そこから新たな「芸道」を立ち上げてゆくことなのだと思います。ヒトが生物的にネオテニーの戦略をとったとき、この「あそび」は目的を持たないものであることが、ヒトという種の生存の可能性を開いたわけです。そもそも、成熟して大人になっても遊んでいるのはヒトという種だけです。そういう意味で、ぼくたちは「ホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)」(ホイジンガ)なのですから。

 

 

ホモ・ルーデンス (中公文庫)

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