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雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

マッテーオ・ガッローネについての覚書

MusicaVita Italia のためのコラムを脱稿。とりあげたのはマッテオ・ガッローネの『リアリティー』。この作品でガッローネは、『ゴモッラ』に続いてカンヌ映画祭のグランプリを獲得したのだが、なるほど良く出来た映画だと思った。

 

ところがコラムのほうは、去年の年末には選挙があったし、正月には訃報や事件が相次いだものだから、なかなか書き始められなかったのだ。そんなコラムを書くきっかけとなったのは「空孔」という言葉である。それはマッテオ・ガッローネのこれまでの作品をふりかえりながら、ポイントを整理しているときにふと思い浮かんだ言葉。

 

調べてみると、どうやら物理学では「原子空孔」という表現があるらしい。原子が規則正しく配列しているとき、この配列を空間格子というらしいが、この格子の中で、原子がたまたま欠けている場所がある。それを空格子点という。この空格子点が多数集まって結晶中にできた空隙(くうげき)のことを原子空孔、あるいは空孔 void と呼ぶのだという。

 

そんな空孔が、もしかするとぼくたちの生きている現実にもまた点在しているのではないだろうか。ふだんは気がつかないものの、あちこちに空隙が開けて、ぼくたちを待ち受けているのではないだろうか。

 

おそらくガッローネには、そんな問題意識が働いているだと思う。

 

彼の作品をはじめて見たのは、2000年の『Estate romana(ローマの夏)』(未公開)。印象に残るのは、そのハッとさせるカメラアングルとドキュメンタリー的な手法だった。強い陽光のなか、大聖年の準備に追われるローマは、なにか見たことのない風景のように立ち現れたし、主人公の3人の売れない舞台俳優たちは、本当にそこで生きているような息吹を感じさせてくれたのだ。ぼくの記憶に残っているのは、ローマのテルミニ駅の風景。何本もの引込み線がスクリーンを横切る映像は、なにかSF映画を見ているようだったから。

 


Estateromana - YouTube

それからDVDで見たのが『剥製師 L’imbalsamatore (2002) 』。2003年のイタリア映画祭で上映されたこの作品で、ガッローネは、その映像スタイルをさらに洗練させるだけではなく、物語の構成力においても卓越した力を示してみせた。主人公は動物の剥製師。小人症でホモセクシャルである彼のもとに、ふたりの若い男女が転がり込んでくるとき、そのグロテスクな物語が展開してゆく。ガッローネのカメラは異形の人物に愛嬌さえ感じさせながら、背の高すぎる男と唇を整形した女を語り部として、ぼくたちを闇の世界へと導いてゆくのだ。

 

この『剥製師』は、ローマで実際に起こった事件に剥製師殺人事件に取材したものだが、印象的なのは剥製師を演じたエルネスト・マイウーの存在感だろう。みずから小人症であるにもかかわらず、舞台で名演を見せていたこの俳優は、ガッローネに見出されると、スクリーンのなかに、不気味だが、どこか憎めない剥製師をみごとに映し出してくれたのだ。

 


L'imbalsamatore trailer ita - YouTube

 

続く『Primo amore (最初の愛)』(2004)もまた、現実に取材した作品と言ってよいだろう。原作は Maco Mariollini の”Il cacciatore di anoressiche” 。これは自伝的な小説だが、著者はこの作品に描かれたままに、恋人を「憎しみと愛をもって」殺害してしまうのだ。

 

現実のなかにから、思いがけないグロテスクなものを引き出してみせる手法が洗練されてゆくとき、そこからあの『ゴモッラ』(2008)が生まれるのは自然な流れだったのかもしれない。映画は、ナポリの犯罪組織カモッラの姿を描いた、ロベルト・ サヴィアーノの渾身のベストセラー・ノンフィクション(『死都ゴモラ』)が原作。そのタイトルは、聖書の古代都市「ゴモラ」とナポリの「カモッラ」をかけたもの。このはらわたをえぐられるような衝撃的な映画は大ヒット。また現在はTVシリーズも作られて人気を博しているようだが、原作者サヴィアーノはカモッラから暗殺予告を受け、国外への移住を余儀なくされている。

 


Gomorra 2008 Trailer di Matteo Garrone - YouTube

そんな『ゴモッラ』もそうなのだが、ガッローネの作品には名の知れた俳優が登場することはまれで、観客の見たことのない人物がスクリーンでみごとな演技を見せてくれる。だからぼくたちは、最初から俳優の演技だと思うことなく、なにか現実に生きる人間のドキュメンタリーを見ているように感じるわけだ。もちろん、演技しているのはプロなのだが、ガッローネの場合は舞台の役者を使うことが多く、それにうよってあたかも、イタリア・ネオレアリズモがそう思われたように、素人を起用した作品と言われることが多いのだという。

 

けれども、重要なのはプロであるか素人なのかではない。スクリーンに人間が映し出されているか否かではないだろうか。そうえいば、かつてルキノ・ヴスコンティは「わたしが目指す映画はチネマ・アントポモルフィコだ」と言っていた。デビュー作『妄執/郵便配達は2度ベルを鳴らす』(1942)を撮り終えたとき、自分がどうして映画監督という仕事をはじめたかを、彼はこんなふうに語っている。

 

わたしを映画に導いたものは、それが生きている人間を物語る仕事だからだ。物語られるのは事物のなかに生きる人間であって、事物そのもののではないのである。 わたしが関心をもっている映画(チネマ)は、人間の姿をした映画(チネマ・アントロポモルフィコ)である。 したがって、わたしが監督としてやるべき責務のなかでもっとも情熱を感じるのは、俳優との仕事なのだ――彼らは人間という素材であり、そこから新しい人間が構築され、新しい現実を生きるように仕向けられるなかで、芸術による現実を生み出してゆく。

人間の姿をした映画(ルキノ・ヴィスコンティ)1943 - 雲の中の散歩のように

 

ヴィスコンティが情熱を感じた「俳優との仕事」に、ガッローネもまた情熱を感じているという。だからこそ、彼は演劇に通い、知られざる俳優との出会いを大切にするのだ。演劇の世界で、彼が見出したのは『剥製師』のエルネスト・マイウーだけではない。実は『リアリティー』でも、ずっと起用を考えていた無名の俳優を起用しているのだ。

 

その俳優の名前は、アニエッロ・アレーナ。ナポリの荒んだバッラ界隈に育ち、カモッラの一員となって闇のなかを彷徨していた。いくつもの過ちを繰り返し、ついには殺人罪により終身刑に処せられる。それが起ったのは、1991年の1月8日のことだ。当時23歳だった若いナポリのカモリスタであった彼は、バッラのクロチェッラ広場での殺人事件に巻き込まれる。3人が死んだのだ。しかし、彼は収監されたヴォルテッラの刑務所で「太陽」を見つける。演劇である。やがて彼は模範囚として刑務所に隣接する劇団の一員として、巡業にも出られるようになる。それはアマチュアの囚人たちによる舞台ではない。プロさながらのクオリティーで、名のある演劇賞を受賞するほどの本格的なものなのだ。

 

アニエッロ・アレーナが、ガッローネに見出されたのはそんな舞台のひとつだったという。その純粋な瞳に魅せられたガッローネは、彼を映画『リアリティー』の主役に抜擢。物語の舞台は、アニエッロ自身が育ったナポリのバッラ地区だ。アニエッロは、昼間の撮影が終わると刑務所に戻らなければならない。それでも彼の存在が、この映画にそれこそリアリティーを与えているというわけだ。

 

そのアニエッロが最近出版した自伝は、こんなふうに始まっているという。

 

若者がいます。ナポリには大勢いる若者のひとりです。彼は普通道を外れ、最後には刑務所か墓場にいたります。そうならないためには立ち去るしかありません。わたしは、ヤクザものたっちに憧れて育ちました。彼らの悪事を知ることはありませんでした。小学校の5年目に学校に行かなくなり、道を外れました。18歳のなかばで、ポッジョ・レアーレの刑務所に入りました。そこは教育的なことがなにも行われておらず、怪物の生まれるところです。そこに入れば、ただ体制に対する憎しみを感じるほかありません。22時間は檻のなかに入ったまま、太陽が見られるのは2時間だけです。4メートル四方の監獄に4人が入れられます。

 

しかしアニエッロの人生は、今、ナポリからは離れたトスカーナ州のヴォルテッラ刑務所にある。そこで彼は演劇という「太陽」に出会うことができたのだ。しかし彼の自伝は南を見つめている。

 

南部の現実は北部とは違います。言い訳をしようというのではありません。刑務所の囚人のうち90人は南部から、北部から来たのは10人だけです。イタリアの南部だけではありません。世界の南部から来ているのです。誰もが同じ可能性を持っている訳ではないのです。北部で男の子がサッカー選手に憧れ、女の子はテレビタレントを夢見ます。ナポリでは男の子はカモッリスタに憧れ、女の子はその妻になることに憧れるのです。マラドーナが生まれるためには、きちんと大人に見守られ、道をはずれないようにしてやらなければならないのです。南部では10人のうち、8人が道を外れてしまい、2人だけがまともな道を見つけます。北部ではこの数字は逆転するはずですね。

Aniello Arena: la mia storia leggetela ai ragazzi - Regione - il Tirreno

 

そんなアニエッロの姿ととともに、ガッローネの『リアリティー』という映画で描き出されるナポリの姿。それは、アニエッロ自身の人生がそうであっちょうに、いたるところに空孔が開き、迷い込んだら最後、暗い森のなかを彷徨うことになってしまう。それでも太陽をふたたび見つけるものもいるのだ。そして、この空孔こそはもしかすると人間的な現実の姿をとらえるためには、どうしても避けられないものなのかもしれない。だとすれば、ガッローネのこの作品は、ダンテの「喜劇 Commedia 」のように、暗い森の先にぽっかり空いた穴から、この世界の裏側を見せてくれるのかもしれない。そしてそれは、まさにガッローネによるチネマ・アントロポモルフィコ(人間の姿をした映画)だと、ぼくは思うのである。

 

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