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雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

John C Jay の言う《Be authentic》とは?

もろもろ イタリア語 読書

あのユニクロで知られるファーストリテイリングは、自社のグローバルクリエイティブ特活として、世界的なクリエイターのジョン・C・ジェイ(John C Jay)氏を迎えるとい記事を読んだ。

ぼくの目を引いたのが、ジェイ氏が若いデザイナーのために提言したという10のレッスンだ。

《若いデザイナーたちへの10のレッスン》

1) 自分に正直でありなさい。君が持っている最大の資産は個性だ。ああしろこうしろという他者の言うことには耳を傾けるな。

2) 他の誰よりも仕事に励みなさい。努力は必ず報われる。

3) パソコンから離れ生身の人間、本物の文化に触れなさい。これが人間の本質である。

4) 技に磨きをかける事を怠るな。思考の革新のみでは足らない。手先を動かしモノを作りさない。

5) 可能な限り旅に出なさい。旅先で自分の無知を再認識するといことはとても謙虚で刺激的な経験である。

6) 現代社会はテクノロジー率先で流行に翻弄されやすい。しかし、その中でもやはりオリジナリティは君臨する。

7) 自分もそうなりたくないのなら愚かな者の元で働くな。

8) 本能。直感。己の力を信用する事を学びなさい。

9) 黄金律(「おのれの欲するところを人に施せ」)は真。善意に尽くせ

10) 例え他のすべてが失敗しようとも、2)を維持できればそれは君のキャリアの最大のアドバンテージになるであろう。

日本語訳を読んだとき、ふーんという感じだったのだけど、英語の文を見ると雰囲気が違う。

10 lessons for young designers:

1. Be authentic. The most powerful asset you have is your individuality, what makes you unique. It’s time to stop listening to others on what you should do
2. Work harder than anyone else and you will always benefit from the effort.
3. Get off the computer and connect with real people and culture. Life is visceral.
4. Constantly improve your craft. Make things with your hands. Innovation in thinking is not enough.
5. Travel as much as you can. It is a humbling and inspiring experience to learn just how much you don’t know.
6. Being original is still king, especially in this tech-driven, group-grope world.
7. Try not to work for stupid people or you’ll soon become one of them.
8. Instinct and intuition are all-powerful. Learn to trust them.
9. The Golden Rule actually works. Do good.
10. If all else fails, No. 2 is the greatest competitive advantage of any career.

日本語訳に比べて、なんだか生々しいものがあると感じられたのだ。おやっと思って読み直してみると、どうやらいくつかのキーワードの生々しさというか、ある種の引っ掛かりが日本語では抜け落ちてしまっているようではないか。

ぼくはイタリア語教師だから、英語のこまかなニュアンスはわからない。けれども、同じヨーロッパの言語として、幾つかの言葉にはイタリア語と共通の語感がある。その語感はときに、今現在のその語が使われる文脈や用法を超え、はるか昔その言葉が発せられた時の身体的な感覚を引きずっていることがある。もちろんそれは、ぼくの個人的なこだわりからくるものにすぎないのかもしれない。それでも一方で、ぼくらの使う言語というものは、常にぼくらの身体から発せられ、生きた身体を担保としてその意味を立ち上げてきたこともまた確かなのだ。だとすれば、ここでしばし、気になる言葉の前に立ち止まり、少しばかり思いを巡らせてみるのも一興ではないか。

ともかくその10のレッスンのうち最初のひとつを解釈してみようではないか。
日本語訳はこうだ。

1)自分に正直でありなさい。君が持っている最大の資産は個性だ。ああしろこうしろという他者の言うことには耳を傾けるな。

なるほど、もっともらしいフレーズなのだが、英文にはこうある。

1. Be authentic. The most powerful asset you have is your individuality, what makes you unique. It’s time to stop listening to others on what you should do. 

ひっかかったのは「Be authentic.」 という冒頭のフレーズ。それを「正直である」とするのが誤訳とは思わない。けれども、それは honest ではなく、あくまでも authentic なのが気にかかる。

 

【authentic】

そもそも authentic というのは、ずっと気になっていた言葉でもあった。実はイタリア語の音声教材を作るとき、できるだけ自然なダイアローグのことを《autentico》と形容するのだけれど、それを「できるだけ自然な、本物のネイティブが話すような会話」と説明することはできても、どうしてそれを《autentico》という言葉で呼ぶのか、深く考えることなくやりすごしていたのだ。

そこで、このイタリア語《autentico》を手掛かりに、例によってイタリア語の語源辞典 (l’ETIMOLOGICO LE MONNIER)を調べてみた。すると、その語源として遡られるのはラテン語の authentĭcus 。これはさらにギリシャ語の形容詞 authentikós (独自の、オリジナルな、本物の)に遡り、その名詞形は authéntēs (権威を持って行動すること、自分の意思で動くこと)、その構成は aut-héntēs〔 autós (自分自身) + héntēs(おそらく hanýō「遂行する」の派生形)〕とある。

つまり、autentico という言葉はしばしば「真正の、正真正銘の、本物の」という訳語がつくけれど、そこには「自分自身でコトを成す」という行為が含意されているというわけだ。

だとすれば、こういうことになるのだろう。例えばここにピカソ作といわれる絵画があるとして、それが autentico (本物)であると言えば「ピカソが自分自身でその絵を描いた」ということ。そして、ぼくが気になっていたイタリア語の音声素材が autentico であるとは「イタリア語ネイティブが自分自身で言葉を話した」という意味になるわけだ。

話をジョン・C・ジェイのレッスン1に戻すなら、そこで彼が若いデザイナーに向けて「 Be authentic. 」と呼びかけているのは、「自分自身でコトを成す」ということにほかならない。では、どうすれば「コトを成す」ことができるのか。

そこでジェイは次のように続けている。

The most powerful asset you have is your individuality, what makes you unique.

日本語訳には「君が持っている最大の資産は個性だ」とあり、少し端折ってはいるが大意は通じるだろう。それでも気になる言葉がいくつかある。

 

【asset】

まずは asset という言葉。それは「ある意志を果たすことを可能にする十分な資産」という意味で、その語源はまず古フランス語の asez (十分な)に、さらにはラテン語の ad satis (十分なまで)に遡る(ちなみに、イタリア語の assai (十分なほど)もまた、この ad satis を語源とする)。つまりジェイはこう言っているわけだ。デザイナーは自分自身でコトを成さなければならない。しかし、それを可能にする具体的条件 asset があり、そのなかでも「もっとも強力な具体的条件として君が持っているもの the most powerful asset you have 」が「 your individuality 」だというわけだ。

しかし、自分でコトを成すために必要な具体的条件(asset)が「your individuality 」とはどういうことなのか。

 

【individuality】

individuality とは、たしかに「個性」のことなのだが、そう言ってしまうと、なにか実体的なモノとして「個性」があるように錯覚してしまう。しかし individuality とは、そういうモノである以前に、そもそも「それ以上分割できないコト in-dividere 」なのであり、あくまでもそのコトの結果として残るモノを指しているにすぎない。そんな分割の結果、自然界において分割不可能なモノとして残ったそれを、ギリシャの哲人デモクリトスはアトムと呼んだのだが、今ここで、問題となっているのはあくまでもデザイナーであり、人間である。そんなぼくら人間にとって、それ以上分割できないモノとして何が残るのか。しかもジェイによれば、その最後に残ったモノ individuality とは、「あなたを他にないただひとつのものにするなにか what makes you unique 」だというのだ。

では、その individuality とは具体的には何のことなのか。難しい話ではない。それはおそらく、この身体のことなのだ。身体こそは、それ以上分割してしまうとその統一(=生命)を失ってしまうギリギリのところに残されたものにほかならない。だからこそジェイは言う。その身体を「他の誰よりも働かせよ work harder than anyone else」(レッスン2)。その身体の備わる「あなたの力 craft がうまく発揮されるように努めよ Constantly improve your craft. 」。そのためには「自分の手を使ってものを作れ Make things with your hands. 」。なぜならば「頭のなかで新しいことを考えるだけでは不十分だ Innovation in thinking is not enough.」。

つまり、「自分自身でコトを成す (being authentic ) 」ためには、「考える thinking 」ばかりではだめで、身体を活動状態に置かなければならない。なぜならばぼくたちの身体こそは、それ以上は分割できないところまでつきつめたところに残るモノ individuality (個性)なのであり、何か新しいものが出てくるとしたら (innovation)は、そこからしか出てこないであろう。ぼくには、ジェイがそう言っているように思えるのだ。

 

【visceral】

では、ぼくたちの身体はどのようなところで活動状態に置かれるのだろうか。興味深いのはジェイがそのレッスン3で「コンピューターから離れてリアルな人々や文化と結びつけ Get off the computer and connect with real people and culture. 」と言っているところだ。コンピューターから離れるというのはよいだろう。身体を動かすためには、PCを前に考えていても始まらないからだ。では、「リアルな人々や文化に結びつけ」とはどういうことなのか。どうすれば「結びつく connect with 」ことができるのか。

ヒントは、このレッスン3の最後にジェイが「 Life is visceral. 」というところにある。ポイントとなるのは visceral という形容詞であろう。英英辞典を見れば、それは「知性というよりはむしろ深い内的感情に関する」という意味なのだが、もっと言えば「内臓 viscera に関する」ということになる。だとすれば「 Life is visceral. 」をあえて文字通りに訳せば「人生とは内臓で生きるものだ」ということになるのだろう*1

「手 hands 」がそうであるように、「内臓 viscera 」もまた身体的なものだ。おそらくジェイは、ぼくたちは自分の「内臓 viscera 」によって、リアルな人々やリアルな文化と内臓で結びつくと考えているのだろう。この感覚を理解するのはそれほど難しいことではない。そもそも日本語には、「腹を割って話す」のように、他人を深く理解することを表すとき「腹」という身体器官をしばしば用いるし(この「腹」とは「内臓」のことだと考えてよいだろう)、文化的な話であるならば「食べ物」のことを思い浮かべればよい。どんな文化であっても、客人を迎えるときはテーブルをかこみ食事をともにする(共食)のだが、このときぼくらは「内臓」によって文化と結びついているではないか。

ここで注意しておきたいのは、「手」と「内臓」の違いだ。たしかにどちらも身体の一部なのだが、その役割は大きく異なっている。「手」が「力 craft 」と結びつくとすれば、「腹」は自分以外の外の世界と「結び付く connect with 」するためにある。もう少し言えば、身体を外の世界に働きかけるのが力としての「手」であるとすれば、外の世界とのボーダーとして「分断しながら結びつける」役割を果たすのが、ぼくたちの体表の「皮膚」であり、体内の「内臓」なのだ。

ぼくたちの身体は世界に対して「手」によって力を行使してゆくのだが、その前に「内臓」によって結びついているというわけだ。だからこそ、ジェイはそのレッスン5で「できるだけ旅をせよ Travel as much as you can. 」と言うのであろう。旅をすることで、ぼくたちはぼくたちの身体を世界にさらすことになる。ぼくたちの肌は異国の人々に吹くその風に吹かれ、肺は彼らが吸うその空気を吸い、内臓はその地で食べられる食べ物を消化する。そのとき、ぼくたちは「手」の力を借りながらも「地べたに這いつくばるように無力 (humble)」で、何も知らない世界をただ受け入れるしかない。けれども受け入れることは、ぼくらに何かを「吹き込む(inspire)」のだ。だからこそジェイは、こう続けるのだろう。「旅をすることは、身を低くしながらも何かを吹き込まれるような経験として、自分がどれほどものを知らなかったかを学べるようになるのだ It is a humbling and inspiring experience to learn just how much you don’t know.」

 

【In this tech-driven, group-grope world 】

その「内臓」によって身体が世界と結びつくとき、ぼくたちは初めて「自分でコトを成すこと being authentic 」を許される。それこそはレッスン6に記された「起源となること being original 」にほかならない。どれだけ世の中が変化しようと、それはなお、デザイナーとしての「王道」であるというのだ(Being original is still king)。

では、今の世の中はどんなふうに変わっているというのだろうか。ジェイは今の世界を「テクノロジーに駆り立てられ tech-diriven」たものであり、また「内向きで慣れ親しんだものたちの集まりによって作られるような group-grope 」ものだと呼んでいる。もちろん前者は資本主義世界のことだ。今や外部を持たないグローバリズム資本主義において、絶えざる技術開発によって生み出される新たなフロンティアとそこに生み出される差異こそが、資本の運動を維持する命綱なのだ。では「内向きで慣れ親しんだものたちの集まりによって作られるような世界 group-grope world」とは何のことなのか。

この group-grope というのは、それはある種蛸壺的で閉鎖的な集団のことをいうのだが、同時にオルギアのような性的なニュアンスも含んでいる。ポイントは grope という動詞。これは「手探りする・撫でる」という意味。grope の「手」は、いわば肌触りを求めて闇をまさぐる手なのだが、そもそも「手」は「力 craft 」に関わるものであり、その力で介入するものではあっても、何かを受け入れるものとしては不十分なのだ。そんな不十分な「手探り」によって、不十分に結びつきながら、矮小化された集団に閉じこもってしまうこと。それが、現代社会の姿だというのである。

「手」は世界を総体として受け取ることはできない。世界はたとえ手に取られたとしても、その瞬間に「持て余されてしまう」。この「手」に対置されているのが「内臓 viscera 」だ。世界を受け取り、持て余すことなく、それを自らに結びつけることができるのは「手」ではなく「内臓」なのである。

 

【instinct and intuition】

その「内臓」によって、ぼくたちが世界と結びつくことができたとき、ぼくたちは自分の身体というかけがえのない資産 asset を持って、そこを起源 original に、コトを成す authentic ことができる。こうした事態が立ち上げる刺激が instinct (本能)と呼ばれるものであり〔これはラテン語 instinguĕre (刺激する)から派生した言葉だ〕、そうした身体の内的な始まりを見通す力こそが intuition (直観)なのである〔こちらもラテン語 intuēri (内側を見る)から来た言葉〕。

だからこそジェイは、そのレッスン8でこう言ったのである。「本能と直観はまったく強力だ。このふたつを信じられるようになれ。Instinct and intuition are all-powerful. Learn to trust them.」

 

ここでようやく、ぼくはジェイのレッスン1の最後のフレーズを解釈する地点に到ったようだ。もういちど、レッスン1を振り返っておこう。

まずはこれ。

Be authentic.

「自分からコトを成せるようになれ」

 それはこう続いていた。

The most powerful asset you have is your individuality, what makes you unique.

「そうするための条件としてもっとも強力なのは、おまえのこれ以上分割できない身体なのであり、その身体を持っているからこそ、おかえはかけがえのない存在なのだ」

身体は、その「手」によって世界に働きかけ、その「内臓」によって世界と結びつく。だから誰よりも身体を働かせ、考えているばかりではなく、実際に旅しなければならない。そうすれば世界はおまえの知らないことを、おまえの内側から立ち上げることきなるだろう。その刺激を感じ取り、自分におこったことを自覚するとき、おまえははじめてコトを起こすことができる。

そしてそのとき、この最後のフレーズはこう言うのだ。

It’s time to stop listening to others on what you should do. 
「今やおまえには、自分が何をなすべきか他人の言葉に耳を傾けるのをやめるときが来た」

う〜ん、なるほどね。

こう考えて見ると、若きデザイナーへのこの提言は、デザイナーにかぎったものではないような気がするではないか。

ぼくたちは今、この世界の限界を内側から突き破って、来たるべき共同体をめざすところにある。だとすればジェイの言葉は、そのための導きのひとつと思えてしかたがないのである。

 

 

到来する共同体 (叢書・エクリチュールの冒険)

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第三の脳――皮膚から考える命、こころ、世界

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*1: visceral については、友人から「はらわた」とするほうがしっくり来るという指摘をいただいた。なるほど確かにそうだと思う。