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雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

iPad を探しながら僕らのエソロジーを考える

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今朝、iPad mini がなくなってるのに気づいて、あわてて iCloud の「iPhone を探す」という機能を使ってみたら、見事に見つかった。昨日、大学の喫煙所に置き忘れていたのだ。
 
喫煙所はもちろん屋外。4限が終わってから、知り合いの先生といつものタバコトークをしていたのだけど、話に出てきた本なんかを検索しているときカバンに入れるのを忘れてしまったらしい。暗かったし、寒くなってきたこともあり、ついつい、そのまま置き忘れてきたというわけだ。
 
すぐに自宅の MacBook から iCloud に入り、「iPhone を探す」を開いてみる。案の定、ぼくの iPad は地図上で大学構内にあることが示される。すぐに学生課に電話したのだけれど、遺失物として届いていないという答え。
 
誰かがひろって持ち歩いているのかもしれない。
 
そこで iPad を「紛失モード」にする。どうやらぼくの iPad の画面には「この iPad は紛失したものです。〜に連絡してください」という表示が出たらしい。すごい。さらに「「サウンドを再生」をクリックすると、ぼくの iPad でサウンドが再生されたというメールが入る。これまたすごい。
 

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しばらくすると、連絡先に指定したおいた携帯が鳴る。学生課からで、 iPad が見つかったという。それも今、学生課で鳴っているというのだ。いやあ助かった。というわけで、先ほど iPad を引き取りに行ってきたのだけれど、学生課の人から「最近は進んでいるんですね」と驚かれてしまった。でも本当に驚いたのはぼくなんだけどね。
 
そんなありがたいサービスだけど、なんだかちょっと考させられるものでもあるよね。というもの、このサービスを可能にしているGPS機能やらiCloud のようなネットサービスは、同時に、監視システムとしても実に強力ではないか。うまくハックすれば、ものすごい監視システムになる。なにしろぼくは、自宅にいながらにして遠く離れた学生課にある iPad を遠隔操作し、アラーム音を鳴らし、画面にメッセージを表示して、自分の携帯に電話してもらう(電話させる)ことができたのだ。これを悪用すれば、それはとんでもないことだってしでかすことができるかもしれない。そしてそれは、もはやすでにただの可能性を超えてしまっていることを、あのスノーデン事件が明らかにしてくれているではないか。
 

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スノーデンは、ネットが権力による監視システムとして利用されていることを暴露してくれたわけだが、それは利用者に不信感を感じさせ、アメリカ政府を激怒させた。まあそのおかげだろうか。フェイスブックもドロップボックスもツイッターも、多くのクラウドサービスが少しばかり個人情報の漏洩に対して敏感になってくれたように見える。もちろん、実際はそうではないかもしれないし、むしろもっとバレないような情報漏洩の抜け道が考えられつつあると考えるほうが自然だ。少なくともぼくがインテリジェンスの担当だったら、ネット情報の利用した監視システムのような強力なツールを諦めることはないだろう。
 
でも、それが監視システムであり、下手に使われると恐ろしい手段になりうるとして、それを怖がるあまりネットサービスを使わないほうがよいとは思わない。監視される可能性を知りつつ、むしろ、そこから得られる利便性を最大限に利用して、ある意味でネットによる監視社会の逆手にとるようなことを考えてゆけばよいのだと思う。
 
問われているのはある種の行動学 ethology なのだろう。ぼくたちは、ネット社会を「今のこの場所」として、そこから始めるしかない。ēthos とはそもそも、そんな「いつもの場所」のことであり「出発点」なのだ。そこからどう行動するかは、ぼくたちが「できること potenza 」に関わる問題となる。重要なのはきっと、アガンベンが言うように、「可能だから実行する」(潜勢力)というだけではなく、「可能だが実行はしない」(非の潜勢力)という道を開いておくこと。ぼくたちの ēthos とは、そんなふたつの潜勢力の閾に見出される場所なのだ。
 

 

アガンベン読解

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