雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

那智黒と熊野信仰

広辞苑 第六版 (普通版)

 

言葉というのは難しい。

 

友だちなんかと喋っているときは感じなくても、大勢の前で話さなければならなくなるとさすがに言葉を選ぶ。さらには、こうしてものを書いていると、どうしたって慎重にならざるをえない。さらにぼくなんかは、外国語も扱うから、そうなるともう、暗い森のなかに迷い込んだようになってしまうし、そのうちに大きな海原に漂流しているような気分になってくる。

 

言葉の海に漂流しそうになるとき、助けを求めるのが辞書だ。辞書がなければ言葉の海を渡ることはできない。けれども、その辞書を作ることを考えると、作業が気の遠くなるものであることは、想像にかたくない。そうなのだ。辞書を作るというのは、三浦しをんの卓越した表現を借りれば、まさに「船を編む」ような作業なのである。

 

日本語の辞書と言えば広辞苑だが、この日本で一番名高い辞書が58年間も間違っていたとの報道があった。問題とされたのは「那智黒(なちぐろ)」という項目だ。それは、碁石の黒や硯に使われる石のことなのだが、指摘されたのは同項目の「和歌山県那智地方に産出したからいう」という部分。ぼくのマックに入っている電子辞書をひいてみる。なるほど「那智黒」は「三重県熊野市神川町から産出する(石)」とあり、どうやら正しいのはこちら。「那智黒」は、「和歌山県那智地方」でとれるものではなく、実際の産地は三重県熊野市神川町だというのである。

http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0827/mai_130827_3564542953.html

 

黒光石 磨き那智砂利 (黒) 5分 20kg

 

けれども、少し考えてみて欲しい。「那智黒」のことを「三重県熊野市神川町から産出する(石)」とするのが正しい記述であるにしても、それだけでは、なぜこの石が「那智黒」と呼ばれるのかわからなくなってしまう。かたや広辞苑の記述にはその「なぜ」の説明がある。(岩波編集部の話を伝えるフジの「とくダネ」によれば)古い文献に遡り、「紀伊の国」と「那智の石」を関連させる記述を見つけた(らしい)。そこから「紀伊の国」を「和歌山県」として「和歌山県那智地方に産出したからいう」という説明が起こされた(というのだ)。

 

地質学的に見れば、たしかにこの石は「那智地方」に産出するものではなく、かつて産出したという事実もない。そこで三重県が岩波編集部にクレームをつけたのだというのだ。しかし、忘れてはならないのは、そもそもこの黒い石の呼び名が「那智」と冠され、それが「紀伊の国の那智」に由来するとする文献が存在するということだ。語源学、文献学的な見地からすれば、それが「那智」という地名に関連していることもまた明らかなのだ。

 

ここに辞書の難しさがある。地質学的な知見はもちろん重要なのだが、それが辞書であるぎり、語源学、文献学の知見への参照をかかすことはできない。では「那智黒」という言葉をどう考えればよいのだろうか。残念ながら、ぼくはどちらの分野の専門家でもない。けれど、素人なりにこの言葉を考えてみると、おそらく事態は次のようなものだったのではないかと想像する。

 

この石は、たしかに三重県の熊野市神川町で掘り出されるものだ。今もそうだし、昔もそうだった。けれどもただ石を掘り出しただけでは商売にならない。掘り出された石は、素材のまま、あるいは碁石や硯などに加して、流通にのせる必要がある。その流通のための拠点が、お隣の和歌山県紀伊の国)の那智地方だったのだろう。たとえば那智勝浦などはリアス式海岸にある天然の良港だ。なにしろ、紀伊半島の南端にある那智は、この石を産出する熊野市とともに、「熊野」というひとつの歴史的エリアを形成している。実際、2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道 (Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range) 」として世界遺産に登録されているのである。

 

めざせ!パズルの達人 1000ピース 紀伊山地の霊場と参詣道 熊野古道[日本] 11-356

 

 

熊野エリアの重要な港町が那智だとすれば、そこから少し離れた三重県の熊野市神川町で産出される黒い石が「那智黒」と呼ばれることにも合点がゆく。商品の名称に、原産地ではなく港の名前がつくことは今でもめずらしくない。太平洋のマグロだって、大間に水揚げされれば「大間マグロ」というブランドになるのだ。三重県の熊野市の黒い石が、その流通拠点となった港の名前で呼ばれても不思議ではない。かつて、この石を手にした人々は、それを「那智から来た黒い石」という意味で「那智黒」と呼んでいたのではないだろうか。

 

そんなふうに考えてみると、どうだろう、少なくともぼくには、あの広辞苑の「那智黒」の項の説明がそれほど致命的に間違っているとは思えない。たしかにそれは「和歌山県那智地方に産出した」石ではないのかもしれない。しかしそこには明らかに「那智から来た黒い石」というイメージが刻印されている。那智は熊野への入り口だ。そして、その地名を冠した「那智黒」という名は、あの紀伊半島南部に広がる神聖なエリアへ、「熊野信仰」という古の信仰世界への扉を開いてくれているのではないだろうか。

 

そんな未知の世界への扉を開く鍵が、地質学であり、語源学や文献学なのだけど、たいていの場合、扉は一本では開かない。いくつかの鍵をうまく組み合わせる必要がある。個別的な知見だけでは鍵として機能しないのだ。そうした専門的な知見を盛り込み、ぼくたちが手軽にアクセスできるようにしてくれるのが辞書ではないだろうか。

 

ただ常々思っているのは、日本の辞書には文献学や語源学の知見が少ないということだ。少なくとも、イタリア語の辞書には必ず語源の記述があるし、ぼくはこれまで、その記述におおいに刺激され助けられて来た。だから日本語の辞書にもそうあってほしいと思うのだが、どうも国語辞典はそのあたりが弱いという気がしている。その意味で、広辞苑の「那智黒」の記述はわるくない。ただあと一歩の詰めが甘かったのだ。