雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

ブルフォードのドラムレッスン

 ビル・ブルフォードは大好きなドラマーだ。そのドラミングは「ジャズにしてはロックの要素が強く、ロックにしてはジャズの要素が強い」と言われる。特徴的なのはスネア。硬くチューニングされた高音が、子気味よく変則的に打ち込まれてゆく。本人によれば、左手の握り方に癖があり、強くたたけないために工夫した結果、独特なスネアの落とし方になったらしい。

 

 そんなブルフォードのドラム講座のビデオを YouTube で見つけた。基本の基本を解説していた部分が、なんだかとても新鮮だったので、ここにアップしておく。

 


Bill Bruford master class - YouTube

 

ブルフォードはこんなことを言っている。まずは前半。

 

Rhythm is like a river, flowing along, nice and smooth, you haven't played anything.  

リズムは川のようなもの、ナイスでスムーズに流れてゆく。でもきみはまだ何も演奏しちゃいない。

 

When you mark a note, you impose yourself, tok, on a flow of time. 

ノートをひとつ打ち込むと、ドラマーはそこに自分自身を押し込むことになる。バンっという感じで、時間の流れの中にね。

 

When you play the next note, bum,  you've imposed yourself again. 

もうひとつノートを打ち込むとき、バンってね、きみはもう一度自分を押し込だわけだ。

 

And the distance between that note and that note is called rhythm: the distance between the two. 

最初のノートと次のノートの間隔、それがリズムと言われるもの。ふたつのノートの間隔のことだ。

 

So you must be careful, you don't interrupt the flow of the time. You have a very big responsibility.  

だからドラマーは注意しなきゃならない。時間の流れを邪魔しないようにね。ドラマーの責任は重大なんだ。

 

 

 時間の流れを邪魔しないというのは、ほんとに音楽の基本だと思う。でもブルフォードのビデオを見て感じることは、ぼくたちはむしろ音楽があってはじめて、時間を感じ取ることができるようになるのではないか、ということだ。

 

 ブルフォードの最初のスネアの一発。これによってぼくたちは目覚める。そして、次のスネアで「時間」のなかに引き込まれてゆく。最初のスネアと次のスネアの間隔こそは「時の間」、つまり「時間」だが、これをイタリア語ではテンポ (tempo) という。そんな「時間・テンポ」に入った瞬間に、ぼくたちはリズムへと分節されてゆくのだろう。

 

 このテンポとリズムについて、少し考えておきたい。

 

 まずはテンポ (tempo) だが、これはイタリア語で「時間」であると同時に、「天気」という意味もあることに注意しておこう。「時間」と「天気」は、一見関係なさそうだが、どちらも時の区切れという意味では共通するものがある。たとえば、暖かな太陽が雲に隠れた時、つまり天気=テンポに区切れが刻まれたることで初めて、ぼくたちは天気=時間=テンポを認識するにいたるではないか。

 

 このテンポの語源を求めて、イタリア語の語源辞典 Le Monnier にあたってみると面白いことが書いてある。結論から言うと、それは心臓が打つ鼓動と関係があるらしい*。つまりテンポとは、もともとは規則正しく脈打っている心臓の鼓動から派生したと考えられるわけだ。だとすれば、ブルフォードの言うように、ドラマーの責任は重大だ。まさにバンドの心臓として、音楽に脈動を与えるのがドラマーなのだから。

 

言語学者バンヴェニストの説によると、ラテン語の tempus はギリシャ語の stémbō 「打つ」に結びつく。この「打つ」という意味から推測されるのは、それが心臓の鼓動だということだ。なぜそうなのか。それは tempo と似た単語 tempia (こめかみ)を考えてみればよい。「こめかみ」とは、手首と並んで脈拍をとりやすい場所ということで、脈が「打つ」のを感じ取るところだと解釈ができるわけだ。tempo (時間・天気)と tempia (こめかみ)というふたつの単語は、今や大きく意味の離れた言葉に見えるのだが、どちらも心臓が鼓動を「打つ」ことに由来すると考えれば語源的に同根だと考えることができる。

 

 次に確認しておきたいのはリズムだ。リズム (ritmo) という言葉を語源辞典で調べてみると、こんな興味深いことが記してある。ラテン語の rhytmus とはギリシャ語 hythmós の借用語なのだが、その語根の rhéō は「流動的な身体がとる形式という意味での流れ」という意味であり、これは「第一にダンスの動きのことを言うのに用いられた」というのだ。つまり、リズムとは踊る肉体が持つ流れるような動きのこと。

 

 ブルフォードが語るリズムの戻って考えてみよう。彼はまず、演奏がまだ始まる前のリズムについて、「リズムは川のようなもの、ナイスでスムーズに流れてゆく」と言う。この、まだ演奏が始まらないときのリズムとは何なのだろうか。バンドの演奏に即して言うなら、それは開演前の演奏家であり観客席のオーディエンスの身体のことなのだろう。そこで、個々の身体は「ナイスでスムーズ」な流れのなかにあるわけだが、それはただそこにあるだけの身体であり、ただ漠然と生きているぼくたちにほかならない。そこに、あのスネアの一打が響き渡ってぼくたちの身体は目覚め、次の一打でぼくたちは、テンポ=時間のなかに引き込まれる。この分節化した時間のなかにぼくたちの身体が入るとき、ぼくたちの身体は分節化されたリズムを生きることになる。ブルフォードが「 最初のノートと次のノートの間隔がリズムと呼ばれる」と言うのは、そういうことなのだろうと思う。

 

 リズムとは、テンポによって分節化された身体の流れなのだ。だからこそ、ブルフォードは、かっこをつけて早いフィルを入れようとする若いドラマーに対して、「流れを邪魔しないように」と警告する。ナーバスに緊張してフィルを入れようとすると、動きがぎこちなくなる。まさにリズムがぎこちなくなってしまい、時間を分節化するテンポそのものも不規則となる。そうなると、ここちよいロックのリズムに浸っていたオーディアンスは、「何が起ったのか?」と驚かいてしまう。早いフィルを入れるよりは、流れを妨げないゆったりとしたフィルを、というわけだ。

 

So next time you go out with your group, you think about the river of the time. Be careful where you impose yourself and where you take yourself out. 

次にバンドでプレイするときは、時間の流れのことを考えてほしい。どこで自分を押し込み、どこで自分を引き離すかに注意しよう。

 

 そうなんだよな。大切なのは、どこで自分を入れて、どこに入れないか。ビートを打たないこと=自分を引き離すことって、とっても大切なことだと思う。

 

 最後に、ブルフォードによる、時間の流れを邪魔しないドラミングの見本みたいなものをひとつ。これ見てぼくは、さまざまなリズムが流れるように立ち上がる、しかもすべてがテンポのなかに収まっていることにびっくりしてしまいました。

 


Bill Bruford - Indiscipline - YouTube