雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

映画

Una bocca di meno da sfamare... (フェリーニの『道』より)

フェリーにの『道』のセリフだけど、先日、中級の授業で質問が出た箇所がこれ。 T'impara un mestiere anche a te e guadagni qualcosa anche te e qui in casa è una bocca di meno da sfamare...(Dalla battuta di Madre, "La strada" in IL PRIMO FELLINI…

あらゆる終わりを超えて響き渡る「叫び」

先日、横浜の朝日カルチャーセンターで『テオレマ』について話してきました。しかも「名作の謎と秘密」というシリーズだったのですが、いやはや、さすがにパゾリーニは簡単ではありません。語りきれなかったことや、まだまだわからない疑問も含めて、これか…

母の日の翌日、パゾリーニを訳してみた

www.youtube.com 昨日はずっと「親和力」のことを考えていた。母の日だったのだ。だから、今朝、一日遅れのイタリアからパゾリーニの詩が届いたのだけど、それはまさに「親和力」についての詩だと気がついた。タイトルは「母への懇願 Supplica a mia madre …

まだ読んでいないメルロ=ポンティと映画についての覚書

映画は今はまだ冒頭から終わりまで藝術であるような作品をそれほど多く提供しておりません。人気俳優に対する熱狂や、ショットの変化によるセンセーショナルな効果、あるいは筋の急転、美しいシーンの挿入または気の利いた対話の挿入それぞれが、みな映画に…

ヴィスコンティ『Cadaveri』(1941)を訳してみた

今年の朝日カルチャーセンター(横浜)のイタリア映画講座は、ルキノ・ヴィスコンティについて話している。昨日はその第2回目だったのだけど、いつもにまして多くの受講者がこられてうれしい限り。さすがにフェリーニよりも人気がありますねと言われると、…

祝、エンニオ・モリコーネ。初のオスカー獲得!

エンニオ・モリコーネがついにオスカー受賞した。 2007年にはすでに功労賞をもらっている。ふつうなら功労賞はキャリアの最後にもらうもの。ところがモリコーネは「これが出発点だよ」とコメントしていた。そして、今、おん年87歳にして、新作をもっての堂々…

ウォシャンスキー姉弟『ジュピター』、あるいは彼女の「不思議な力」について

結論から言おう。この映画は傑作だ。 『スターウォーズ』や『マトリックス』と似ているとか、それを超えられたかなんて問題にしているようではだめ。これはSFの形式を借りた寓話であり、そこに込められた寓意とその背後にある現実認識こそが、この映画を傑作…

『進撃の巨人』を観たよ

「進撃の巨人」予告 - YouTube 注目の「進撃の巨人」を観た。 以下、感想をメモったのだけど、ネタバレも含むと思うので、閲覧注意。 冒頭、エレンたちが壁の向こうの世界への憧れを語りあうシーン。これはまさに、原作者である諌山創のスタート地点。だから…

『グラン・トリノ』の「米つきバッタ」

先日、安保法制をめぐる投稿のツイートに、FBの知り合いがコメントしてくれた。クリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』(2008年)のなかで、アジア人が「米つきバッタ」と呼ばれているというのだ。ぼくもこの映画見たのだが、「米つきバッタ」という…

『自転車泥棒』と『黒いタンムッリャータ』

むっとするような暑さ。それでも、なんとか大学の授業はあとは採点を残すだけとなり、来週3日ほど集中講座をやって、暑気払いを2回ほど楽しめば、ようやく夏が来るというところ。 この暑さとともに、世の中のきな臭さも少し落ち着いてきているようでもある…

すべてが変わるなかで変わらないもの…

Mercedes Sosa - Todo Cambia (Videoclip) - YouTube ぼくは今、なんだかうっとうしい空気を吸っている。学者たちはいつになく声をあげているし、学生たちさえ緊急のアクションを組織しているし、まわりの誰に聞いても何かがおかしいと答えてはくれるのだけ…

ロベルト・サヴィアーノ、『白夜』について語る

ロベルト・サヴィアーノのことを知ったのは、M.ガッローネの『ゴモラ』(2008)だった。サヴィアーノはこの強烈な作品の原作となった『死都ゴモラ』の著者であり、最近では『コカイン・ゼロ ゼロ ゼロ : 世界を支配する凶悪な欲望』が邦訳さればばかり。饒舌…

『ジャージー・ボーイズ』(2):娘に捧げる父の歌

『ジャージー・ボーイズ』のストーリーは1951年に始まる。その年、ボーイズたちが憧れるフランク・シナトラがエヴァ・ガードナーと結婚する。しかも離婚してすぐの再婚だ。 シナトラとガードナーの交際が発覚したとき、シナトラには妻ナンシーと3人の子…

『ジャージー・ボーイズ』(1):イタリア系コミュニティーのこと

週末、イーストウッドの『ジャージー・ボーイズ』を見た。堅実な演出。キャスティングよし。音楽よし。ちょっと驚いたのは、うちの高校生の娘が、60年代の楽曲や舞台のパフォーマンスを見て、「こういうの好きだわ」とつぶやいていたこと。へえ、以外と6…

13日の金曜日に『8½』を語る(3)

7)「それはわたしだ」 こうして「8.5本目」の作品のために、スタッフと俳優が集められ、映画の断片的で混乱したイメージが形成されてゆく。頭のなかでは明確な作品をつかんだつもりのフェリーニは、そのアイデアを聞いた盟友トゥッリオ・ピネッリや、『甘…

13日の金曜日に『8½』を語る(2)

6)40歳のチャップリン それは1961年のある日のことだったという。次回作の構想を練っていたフェリーニは、シエナ近郊の温泉地キャンチャーノ・テルメにて『8½』となる作品のヒントを得る。そのとき彼の脳裏に浮かんだあらすじを、ケジチは次のように伝え…

13日の金曜日に『8½』を語る(1)

去る3月13日の金曜日、イタリア文化会館でフェリーニの『8½』の上映会があった。ぼくは上映前の15分ぐらいで作品の解説してきた。いくら13日の金曜日だったといえ、よくもまあそんな恐ろしい仕事を引き受けたものだと思う。 ぼくは、特段アカデミックな…

マッテーオ・ガッローネについての覚書

MusicaVita Italia のためのコラムを脱稿。とりあげたのはマッテオ・ガッローネの『リアリティー』。この作品でガッローネは、『ゴモッラ』に続いてカンヌ映画祭のグランプリを獲得したのだが、なるほど良く出来た映画だと思った。 ところがコラムのほうは、…

Totò 『女性』あるいは美しすぎる存在に捧げる詩

Antonio De Curtis, in arte Totò (1898-1967) 昨日11月25日は、「女性に対する暴力撤廃の国際デー」だった。例によってFBにはいくつかの投稿があったのだけど、なかでもぼくの目を引いたのはイタリアを代表する喜劇役者トト(アントニオ・デ・クルティ…

Erri De Luca 『世俗の祈り』

またFBで素晴らしい詩にめぐりあった。地中海の難民たちのことを詠った詩なのだけれど、神ではなく海にむかっての祈りとして書かれたものだ。だからそのタイトルは「世俗の詩」。ランペドゥーサ沖の悲劇のことや、その悲劇を先取りした映画「海と大陸」のこ…

パオロ・ヴィルツィー『見わたすかぎり人生』(2008)

雑誌 Musicavita Italia のためのコラムの草稿ができた。塩漬けして明日には送付の予定。で、前回の記事で、そこに挙げたおいたヴィスコンティの論文は、このコラムのための準備だと書いていたのだけど、マッテオ・ガッローネの『リアリティー』に絡めて考え…

人間の姿をした映画(ルキノ・ヴィスコンティ)1943

ヴィスコンティは、そのデビュー作『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(1942)を発表したのち、映画雑誌チネマに Cinema antropomorfico と題する小論を発表する。まだネオレアリズモという言葉がなかったころ、後にその先駆とされる作品を発表したばかりのヴィ…

バラとジャスミン:フェリーニ『道』(1954)

最近ちょっとした出会いがあって、忘れかけていた映画を語る歓びを思い出すことができました。せっかくだからここに、少し自分の書いて来たものをふりかえってみようと思います。あちらこちらに書き散らしたコラムを、少しずつアップしてゆくことにします。 …

おお、アメリカ!『ゾンビランド』にゾワっとする。

なるほどね。 引きこもりのダメ男(ジェシー・アイゼンバーグ)がヒーローになるという話型に、できのあまりよくない主人公を怪力男マチステ顔負けのゾンビキラー(ウディ・ハレルソン)が助けるという古典活劇を組み合わせ、そこに男を食い物にする悪女だけ…

蜷川幸雄『わたしを離さないで』

『わたしを離さないで』 PV - YouTube この連休に、蜷川幸雄の舞台『わたしを離さないで』を観てきた。 原作はカズオ・イシグロの同名小説。原作は読んでいた。映画化された作品も観た。それでも舞台は新鮮だった。ひさしぶりの舞台ということもあったのかも…

レッド・ホット・チリ・ペッパーズの『デスソング』

Red Hot Chili Peppers - Brendan's Death Song ...今日はよく晴れた心地よい日和なのだけど、なぜか朝からレッド・ホット・チリ・ペッパーズのビデオクリップを見続けている。『ブレンダンのデスソング』と題されたこの曲は、文字通り「死者の歌」であ…

「日本的なもの」の誘惑

長谷川三千子は、その『日本語の哲学へ』において、ぼくたちの話す日本語によって、日本語のなかで、固有の哲学的思考を展開する可能性を開こうとした。それはひとつの冒険だったと思う。しかしその冒険がかくも危険なものへの接近でもあったことを、その「…

殉教の子どもたちと動物の尊厳

先日、『イスタンブールの赤 Rosso Istanbul』という小説(あるいは随筆?)を発表したフェルザン・オズペテク。トルコ生まれにしてイタリア映画を代表する監督である彼が、とても興味深いフレーズをツイートをしていたので、ここで紹介してみたい。 Ci sare…

移民たちの船

10月3日、哀しいニュースが飛び込んで来た。 シチリア島とチュニジアの間に浮かぶランペドゥーザ島の沖で、アフリカからの難民を船が火災を起こして沈没したというのだ。全長20メートルの船には500人以上がすし詰めになっていたという。2日前に乗っ…

ヘイトスピーチ、貧困問題、そして疎外の向こう側へ

今朝のTVサンデーもニングを観ていたら、「風をよむ」のコーナーでヘイトスピーチを取り上げていた。そこでは、ヨーロッパでもそうだが、日本でもヘイトスピーチがネットだけではなく路上でも横行していると報じられていた。これに対してアンチ・ヘイトスピ…