雲の中の散歩のように

Cinema letteratura musica どこまで遠くにゆけるのだろう

映画が産声をあげるところ

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2019/1/22@早稲田大隈講堂



映画が産声を上げるところ。そんな場所があるとすれば、たとえば昨日の大隈講堂の上映会もそのひとつなのかもしれない。

以下、備忘のために。

1本目は『ふたたま』:

冒頭こそ逃してしまったけれど、ぼくには安部公房の短編と思えるようなイメージをめざして、悪戦苦闘する映像は悪くない。ポロリと落ちてくるタピオカ玉に近所のタピオカ茶屋にたむろする女子高生たちの姿を思い出し、あのニラ光線には、ぼく自身の亡き母が、当時流行りのミキサーで作ってくれたニラジュースを一気にのんで吐き出したときの気分が、ふと蘇る。アパートの扉、カーテン、窓、そんな仕切りの幕が、「皆殺しの天使」的なバウンダリーのようでありながら、もっと、ふわふわした実態としてゆらめいている。

2本目の『もぐら』:

なんといっても「せんべいおにぎり」につきる。ともかく映画的なのは、夜のイメージの拙いなかにもハットさせるような美しさ。そして車。そもそもルミュエールのはじめより移動するマシンとしての機関車、自動車、自転車、そして飛行機、船などは、すべて映画的であって、それを大画面に映すだけでスペクタクルなのだけれど、この「もぐら」の使われたバンの乗り降りのかない、「せんべいおにぎり」が立ち入ってくるとき、すなわち運動イメージのなかに時間イメージが闖入してくるとき、たとえそこに兄と妹という関係が読み取れなくても(これは上映後のトークで知ることになる)、たしかに運動するイメージのなかに、妙な異物が入ってくることのゾクゾク感を味わうことができた。それにしても、湖ではない湖を、音だけ先行させて、視線の先にちらつかせ、それからちりありとユラユラとネオンのゆらめく水面をはさんで、背中からパンと開いて見せた工場と川と橋と空と兄妹のショットは拍手もの。

3本目は「湛えて」:

個人的なことだけど、大学のとき、一年下の明るい男が海で溺死した。明るくてきれいな彼女がいたのだけど、その時いこう、少しづつ取り戻したその笑顔が大人になっていたのを覚えている。高校の時も、同じ部の友人が交通事故で死んだ。すぐに死んだのではなくて、入院して、そろそろ帰ってくるよなとみんながおもっているある日の朝、とつぜんの訃報が届いたのだ。なんでも輸血の問題だったらしい。そいつとは、同じ女の子をめぐっての、片思いのライバルだったのだけど、ふしぎなことに彼が逝ってしまってから、ほんのつかのまだけど、付き合うことになる。そんなことを思い出したのは、たぶん「湛えて」の映像を見たからだ。じつは見た直後、なんだかモヤモヤしていたのだが、上映後のトークで、実はこの作品が溺死した恋人の話だということを聞いて、ぼく自身の思い出たちと見た映像がふっとリンクすることになったわけだ。もちろんだからといって、もっと映画的な解説が必要だった批判するつもりはない。批判どころか、むしろよけいな台詞や説明がなかったからこそ、あの映像の数々はぼくの記憶に淵に沈んでいたイメージを浮き上がらせる何か攪拌器のようのものとして作用したのだと思う。それはちょうど、うまく書けているのに何らかの事情で断片化した散文や韻文、つまり詩的な想像力のはたらきの痕跡であるなら、それらはいつだってぼくらを触発してくれるようなものなのかもしれない。

4本目が『めぐみ』:

この映画だけは、最後のトークの言葉を必要とせず、映像に縁取られた物語を追うことができた。それにしても、それが上映10分前にレンダリングを終えたばかりだと聞いたときは少々驚いた。生まれてきた赤子が、赤子ではなくて、すでに成人だったような、そんな驚きだ。もちろん、ぼくらは赤子の姿や、夜泣きや明け方の授乳にヘトヘトになった親たちのボロボロの姿を見てはいない。親たちが、そしてコミュニティの人々が、大切に育て上げた子どもが、世の中に一歩踏み出すところに立ち会っただけなのだ。けれどもそれは、映画が生まれる瞬間であり、その瞬間だけに味わえる喜びにほかならない。生まれ前に生まれる幸福を味わうことができないように、生まれる前の映画もまた上映される映画が劇場という暗闇のなか、スクリーンとそれを見つめる眼差しの間に、すっくと立ち上がる喜びを知らない。すでにめぐまれているのにめぐまれていることを感じられないのが、おそらくは、ぼくたちすべてについてまわる運命なのだ。だから、誕生はつねに遅れてやってくる。そして遅れてやってくる誕生こそが時間をひらく。「めぐみ」のめぐみによる、キャンパスに向かうその眼差しのなかに、あの時間イメージがひらかれたのだ。

www.waseda.jp



 

ベルトルッチを追悼するドミニク・サンダ

今朝のツイッターで、こんな記事があると紹介された。見ればレプッブリカ紙の演劇欄に、あのドミニク・サンダベルトルッチを追悼している。TWのコメントには「すばらしい文章だが、批判がないわけではない。『1900年』の撮られなかったシーンについて彼女が語っていることはとても興味深い。見てみたかった」とある。

読んでみると、確かにベルトルッチへの、決して辛辣ではないものの、かなり鋭い批判も含まれた文章。ぼくも『1900年』については少し留保があったのだが、その留保の部分をみごとに文章にしてくれているではないか。しかも、未撮影のシーンがこれまた非常に興味深いのだ。

もちろん批判だけではない。ドミニク・サンダはたった2本しかベルトルッチと撮っていないけれど、とりわけ一本目の『暗殺の森』が、いかに彼女に影響を与えたか、ここにはっきり記されている。さらには『ラストタンゴ・イン・パリ』でマリア・シュナイダーが演じたジャンヌを、ベルトルッチが最初はドミニク・サンダにオファーしたというから驚きだ。ドミニク・サンダが演じていたら、どんな作品になっていたのだろうか。

ともかくもこの記事、以下にざっと訳してみました。急いで訳したので、読みづらいところもあるかと思いますが、ご笑覧。

 

「かくのごとくベルナルドは、魔法的で残忍なシーンを撮影した」

ドミニク・サンダ

まだ二十歳にもならないころでした。わたしのエージェントが、若くて将来性のあるイタリア人の監督に引き合わせてくれました。アルベルト・モラヴィアの『孤独な青年 (Il conformista) 』(1951)を原作にした映画(『暗殺の森 (Il conformista)』)を撮りたいというのですが、それがベルナルド・ベルトルッチでした。プロデューサーで甥のジョヴァンニと一緒にやってきたのです。

 

冬のローマとパリでの撮影はすばらしいものでした。フランス贔屓のイタリア人で、ほんとうにすてきなジット・マルグリーニの手による衣装。ヴィットリオ・ストラーロとその仲間たちが作り出した光。まさに魔法でした。まだ若いベルトルッチ(わたしより10歳年上です)の想像力にあふれる演出は、わたしたちみんなにとっての喜びでした。それは大文字で記すべき〈作品 Opera 〉の創造だったのです。わたしはまだ18歳でしたが、まわりの誰もが情熱をもって仕事をしていることがわかりました。ほんとうにすばらしかった。そこは自分の生きる場所だと感じだのです。日に日に、撮影現場の空気は、美(bellezza)と詩(poesia)に満たされてゆきました。

 

付け加えるなら、この映画のラストシーンは、大作家モラヴィアの筆を超えるものでした。小説の教説的なラストで悪い者は罰せられることになります。ベルトルッチは、明らかにこの特別な「ハッピーエンド」が不満だったので、物語を脚色して観客には落ち着けないリアリズムに訴え、主人公の日和見主義者 il conformista が死なないという、心穏やかならざるものになります。日和見主義者たちが消えることなく、生き残るのです…

 

ベルトルッチの訃報に、わたしは驚きませんでしたし、とくに悲しんだわけでもありません。そうなのです。長いあいだ病気だったことは知っていました。苦しんでいたのだろうなと思います。『リトル・ブッダ』のパリでの初日は、ダライ・ラマもいらしていましたが、そこでわたしは、舞台に上がるベルトルッチが、なにかバランスを崩したひどい歩き方をしていることに気がつきました。いつだったでしょうか。1993年ですから、かれこれ25年も前のことです。ベルナルドは、ほんとうに多くの苦しみに耐えていましたから、死はある種の解放だったのだと思います。わたしは、苦しんできた魂がようやく平和を見出せるように、心から願っています。

 

暗殺の森』で、わたしは「若いプリンス」ベルトルッチと知り合いました。『1900年』(1976)ではすべてが変わります。その撮影のとき、もちろん彼がその若さを失くしたわけではありません。けれど、その心の中にあったはずの、生まれ故郷エミリアでの体験の思い出が、ソ連で起こったことの空想にすぎないヴィジョンと混ざり合っていました。わたしに言わせれば、ときには混同されたのだと思います。〈歴史 la Storia 〉がフェンタジーであってはならないにもかかわらず、そうなってしまったのです。〈歴史〉とは、その後に来るものに影響を与えてやまない事実です。『1900年』はじつに、最初から最後まで、その細部、光と陰にいたるまで、すべてベルトルッチの純粋な創造物でした。わたしは、ベルトルッチに声をかけてもらってとても嬉しかった。女性の主人公を演じることになったのですが、声をかけてもらったのは3度目でした。 

 

その前に、2度目に声をかけられたのは、『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)のジャンヌの役でした。ただ、わたしはそのとき息子を身ごもっていたので断ったのです。1975年の夏のこと、(『1900年』の)撮影はすでに始まっており、ちょうどイタリアにいたわたしは、フランスに帰国する前に、パルマの撮影現場を訪ねることにしました。そのとき、ベルトルッチは、驚くほど酷い態度で私を迎えます。「ぼくが(『1900年』の)アーダの役を書いたのは、数年前に『暗殺の森』で知り合った女優のためなんだよ」と言うのです。「きみにまだ、あんなふうに演じる力があってほしいものだね」。わたしは黙りました。「ああ、挑発してるのね。いいわ、わたしに何ができるが見せてあげる」。そう思ったわたしは、謎めいた微笑みをうかべてみせました。疑いはありません。彼はもはや、かつての若いプリンスではなくなっていました。おそらくはある種の皇帝、それともツァールのような存在になっていたのです。スターリンのようなヒゲこそありませんでしたが、このロシア人の小さな胸像のようなものが、その編集室に君臨していたのです。

 

この映画には、まだうまく飲み込めないシーンがあります。スクリーンを前にすると、わたしは今でもそのシーンで目を閉じてしまいます。あの異常な惨殺シーンで、男の子が犯されて頭を砕かれます*1。それから猫の拷問のシーン(なんども撮り直され、何匹もの猫が使われました)*2... こうしたシーンを見ると、なぜそんなシーンを撮ったのかと聞きたくなるのではないでしょうか。もちろん聞く相手は、そんなシーンを撮影するように命じた隊長(capitano )です*3。そうなのです。彼はもはやプリンス(principe)ではなくなっていたのです。

 

オリジナル・シナリオで、わたしの役は映画のように突然に終わるものではありませんでした。映画のアーダは、その美しい衣装の数々を若い女主に贈ってからは、もう現れません。観客には、この失踪がベルトルッチの奇妙な忘却からくるものなのか、あるいは、ほかに理由があるのかわかりません。わたしは、わかります。撮影隊といっしょにいましたから、わかるのです。ベルナルドの忘却ではありません。彼は、じぶんのイデオロギー的空想を優先させたのです。そして、より人間的で、より肉感的な物語、つまり心の物語を、切り捨ててしまったのです。

 

私は、オルモと一緒に逃亡することになっていました。財産、土地、夫などすべてを捨て、地中海に向かい、フランス行きの船に乗るのですが、港につくやいなやファシストに逮捕されてしまいます。オルモは監獄に入れられ、わたしは夫のもとに戻され、そこであの裁判に立ち会うことになっていました。しかし、これらのシーンが撮影されることはありません。それはベルトルッチの最初の構想と、アメリカ人のプロデューサーたちに提出されたシナリオにしか存在しないシーンなのです。

 

わたしがベルトルッチと撮った2本の作品のなかで、彼と共に深く感じたことは、即興が思いがけない結果もたらすときの喜びです。彼自身認めているように、俳優の演技が期待を超えるものであるときが、「最高のこと la cosa più bella 」なのです。ベルトルッチは、おそらく気がついていないでしょうが、俳優の彼を驚かせたいという願望は、彼自身によって与えられたものなのです。わたしの場合は、彼と働いてからずっと、そんな気持ちを持ち続けています。もし批評家の誰かが、ベルナルドに、どういう理由で、だれそれの男優や女優を選ぶのかと聞いていたなら、こんなふうに答えることができたはずです。それは、その男優や女優のなかに、自分を驚かせてくる力がきっと眠っていると思うからだ、と。いずれにせよ、思いがけない贈り物を受け取ることは、期待していたものを受け取るよりも、いつだって、ずっとうれしいことです。わたしは、とりわけ『暗殺の森』以降、ある種の曖昧さとある種の風変わりな官能を感じさせる女優だと考えられてきました。けれども、そんな曖昧さと官能は、ベルトルッチのものであって、わたしのものではありません。混同してはならないものなのです。

 

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*1:YouTube で見つけましたが、ドナルド・サザーランドとラウラ・ベッティがほとんど怪物に見えるシーンです。かなり強烈ですので注意して閲覧ください:

www.youtube.com

*2:YouTube に映像がありました。猫をコミュニストだとみなしたアッティラの残酷で、たしかに目を背けたくなるようなシーンです :

www.youtube.com

*3:『1900年』のラストシーンを演出するベルトルッチの映像がある。なるほど歴戦をくぐり抜けたようなふてぶてしさは、まさに隊長 capitano のものだ。

www.youtube.com

ここでインタビューをしているのは、ジャンニ・アメリオだが、ベルトルッチがこの未来の巨匠に語るのは、だいたいこんな感じの言葉だ。
「物語としてのラストシーンは45年4月25日、つまり解放記念日ですね。それをある種のユートピアとして、ユートピア的なもののなかにある真実を描こうとしているのです。けれどもそれはまた、エモーショナルなラストシーンでもあります。映画の最後に付け加えるようなものは嫌だったので、ラストシーンはリリカルな〔歌劇的な〕もの
にしたかったのです、リアリスティクではないけれどリアルなもの。言えることは、それがるしゅの渦だってことです。時間の渦ですね。それが突然に全てを飲み込みます。45年の4月25日のこの法廷にいた全てのものを飲み込んでしまうのです。わたしはこのラストシーンを、そんな目眩/渦巻きにしたいのです。それもオープンなもの、リリカルなラストシーンだったら通用するようなものにしたいのです。オープンなラストは、自然へと開かれます。田園へと、畑へと、それも今にも花が咲き始めそうな、そんな大地へと開かれたラストシーン。いわば、スターリン的に楽観的なラストシーンにしたいのです」...

怪物たちが生まれる時代に...

FBにこんな投稿を見た。

書かれているのはアントニオ・グラムシの言葉。こんな意味だ。

古い世界は死につつある。
新しい世界はまだなお現れていない。
このたそがれ時に
怪物が生まれる。

Il vecchio mondo sta morendo.
Quello nuovo tarda a comparire.
E in questo chiaroscuro
nascono i mostri.

ぼくたちもまた、グラムシが「このたそがれ時 (questo chiaroscuro) 」と呼んだ時代に、生きているのかもしれない。ここのところ、そう思わせるような事件が相次いでいる。

 たとえばこれ。

辺野古署名」というのは 、ツイッターフェイスブックで話題になったアメリカの嘆願サイトで、辺野古の埋め立てに反対する署名活動のこと。じつは、ぼくもこれにはサインしたのだけど、たとえばローラさんのような芸能人が署名を呼びかけることが、一部の人たちから、「左傾化」だとか「政治発言はいかがなものか」などの批判が出てきたというのだ。

聞いた話だけれど、接待業のプロの方々は「スポーツ、宗教、政治」をしないという。阪神ファンのお客に巨人を贔屓するような話をしたらまずい。宗教も政治も同じこと。それはわからないでもない。しかし、それはあくまでも接待のプロの心得。仕事を離れたら、まったく関係がない。むしろ、ぼくらは贔屓のチームを応援し、自分の信じる神を拝んだり、あるいは神を持たないでよいのだと信じたりする。

政治だって同じ。生活を営み、税金を納め、選挙に行く。あるいは行かないで投票率を下げるときも含めて、ぼくらはいつだって政治的に生きている。政治家だけが政治を行っているわけじゃない。ぼくらはそもそも政治的な生き物なのだから。

だから、つくづく思うのだけど、「政治的な発言をしない」ということ自体が、実に特殊な「政治的な言語行為」。沈黙は明白な言表行為だ。それは、不作為の作為ってやつであって、簡単に言えば、溺れている人がいるのを黙って見ているのは、ほとんど殺人行為だってこと。もちろん人は、なんだか変だなと感じていながら、特に変なことではないと思い込んでしまうもの。そういうのを安全バイアスと呼ぶけれど、「芸能人は政治的な発言をしない(ほうがよい)」というのは、この安全バイアスをさらに強固にしてしまうだけなのだ。

たしかに今、「古い世界は死につつある」のだろう。しかし「まだ新しい世界は現れていない」のだ。そして、ぼくらの国に蔓延る「安全バイアス」の影から、いくつもの「怪物たち」が生まれている。怪物たちは、基地負担軽減と言いつつ新たな基地のためにジュゴンの海を埋め立て、空母を空母と呼ばずに保有し、戦争と呼ばずに戦争の準備を進めている。領域国民国家の論理は(たぶんすでに)死に体であるにもかかわらず、あらたな共同体をさぐる試みもまた、あらゆる局面で文字通りの「壁」につきあたっている。冷戦の壁の崩壊から30年になろうとしている今、パレスチナの壁、メキシコの壁、そして地中海の見えない壁、世界のありとあらゆる場所に、怪物たちが壁を立ち上げようとしているのだ。脱領域的な経済をリードする者たちが、日本で、カナダで、世界中で拘束されている。

いったい何が起こっているのか?思い出すのは、ちょうど授業で扱っていたイタリア映画『ライフ・イズ・ビューティフル』(1997)の不気味なナゾナゾだ。

そのひとつ目は、ユダヤ人ウェイターのグイードに、ドイツから来ていたレッシング大尉が出題したもの。

大きくるほど見えなくなる

Più è grande e meno si vede.  

ふたつめは、そのレッシング大尉が、イタリアを立つ直前に、グイードに出題したもの。

僕の名前を呼んだら、僕はもういない、僕は誰だ?

Se fai il mio nome non ci sono più, chi sono? 

そして3つめ。

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Grasso grasso, brutto brutto

tutto giallo in verità:

se mi chiedi dove sono ti rispondo "Qua qua qua".

Quando cammino faccio "poppò"

chi son io dimmelo un po'.

 

デブデブしてて、ブサイクで、

ほんとうは全身が黄色:

どこにいるかと聞かれれば「ココ、ココ、ココ」と答えよう。

歩くと「ウンチ」しちゃう。

ぼくが誰か、言ってみな。


ドイツ人の軍医レッシングの出題する3つのなぞなぞだがひとつひとつ解いてゆくと、いつのまにか時代の空気が浮かび上がってくる。

第一の答えは「闇 l'oscurità」。『ライフ・イズ・ビューティフル』は1939年に始まる。それはドイツがポーランドに侵攻した年。イタリアの参戦はその翌年。まさに、それまでゆっくりと広がってきた「闇」がヨーロッパを覆うのだが、ひろがってゆく闇に誰も気がついてはいなかったというわけだ。

第二の答えは「沈黙 il silenzio 」。強制収容所に送られたグイードは、その医務室でレッシング軍医と再会する。静かに直立させられた収容者たちを診察するレッシングは、おそらくは働けない者の選別していたのだろう。送られる先はもちろんガス室なのだ。しかし、レッシングはグイードに気がつかない。意を決して、あのなぞなぞを口にするグイード。看守が「静かに!」と叫ぶ。しかし彼は沈黙を破り、なぞなぞの答えを口にする。それはまさに「沈黙」なのだが、口にしたとたん消える「沈黙」のために、あの「闇」はここまで広がったのではなかったのか。そしてそこでは、あのグラムシの「怪物たち」が、文字通り暗躍したのではなかったのか... 

そして第3の謎々だが、これには答えがない。答えがないとは、どうやらベニーニ/チェラーミが、この謎々をあえて不条理なものにしたということ。それは、あの「アウシュビッツ」という名前がぼくたちに想像させる不条理さと、同じ不条理さを持たせるという目論見なのだろう。それは、どこかカフカ的なもの、間違えて夢の中に登場したような現実なのだ。ベニーニは言う。

「わたしは、光栄なことにユダヤ人ですとは言えません。ただひとりの人間なのですが、こんなカフカの話を思い出したいと思います。ある夜、友人の家に招待された男が、トイレを探そうとして、間違えて友人の父親の部屋の扉を開けてしまいます。目を覚ました父親に、男がバツの悪そうに言います。《すいません、ご迷惑おかけするつもりはなかったのです。どうかわたしを夢だと思ってください》。この映画もまた、すべての映画がそうであるように、ただの夢なのです*1

この夜の寝室に突然扉をあけて入ってくるカフカ的な現実は、「闇」がゆっくりと広がり、名前を呼ばれることのない「沈黙」のなかに、立ち上がるもの。そんな大いなる闇と沈黙。そんな場所に、官僚的な緻密さで、粛々と、送り出されるものたちが、その表象不可能な証言によって表象するような何ものか。黄色いダビデの星を押し付けられ、ヨーロッパでは昔から吝嗇で醜悪な姿で描きだされ、街のあらゆるところにいて、なかには自分がそうであることも忘れるほどに、他の人々とかわらないにも関わらず、けがわらしいと忌み嫌われているような存在。しかし、そんな存在こそは、答えとして告げられてはならないもの。だからこそ、第3のナゾナゾには答えがあってはならないと、チェラーミとベニーニは言っているわけだ。

レッシングの第3のなぞなぞを聞いたとき、グイードは沈黙する。その表情に注目しよう。しずかに目を伏せると、滑稽なまでに必死のレッシングから、ゆっくりと離れてゆくと、グラモフォンにドーラとの思い出の曲を見つける。それは『ホフマン物語』。美しい調べを作曲したのはジャック・オッフェンバック

 

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ユダヤ人でもあるオッフェンバッハの調べ、そしてその「美しい夜、おお、恋の夜よ」と歌う言葉こそは*2、 あのレッシングの第3のナゾナゾに答えることなく、そんな謎かけをしてくる「怪物たち」を吹き飛ばし、高らかに「人生の美しさ」を歌い上げる賛歌として、ぼくたちの記憶に残るのであり、そしてまた、いまぼくらが歌うべき歌なのかもしれない。

 

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*1:Roberto Begnini e Vincenzo Cerami, La vita è bella, Torino Einaudi, 1999, p.VIII.

*2:意味はこのサイトなどを参照してください。

ホフマンの舟歌 歌詞と試聴